娘にしてみれば、おじいちゃんのことを知りたかったのに追い出されると感じたんでしょうね。相当ショックだったようで、そのことを英語で詩に書いていました。そうしたら俊太郎さんも詩で返答したりして。(笑)

俊太郎さんは、兄と私に対してはベタベタとかわいがる感じで、私たちをモデルに絵本も書いてくれましたが、孫の世代になるとちょっと違う。「孫には無責任でいられる」という気楽な関係でいたかったんだと思います。

もちろん、孫ができたことを幸せに思って詩にも書いているし、かわいいという感情も、大切だという思いもある。でも、対応の仕方がぎこちなくなってしまう。創作環境を乱される、という思いもあるのかもしれません。

俊太郎さんはかねがね、自分のことを「人と距離を置く、デタッチメントな人間」と言っています。愛情がないわけではなく、距離を置いて観察してしまうのでしょう。結局、哲学者の家に一人っ子として生まれて自由に育ち、根本的には一人が好きだったんだと思います。

晩年、この広い家で独居していても、ぜんぜんさびしくなかったみたい。最近、雑誌で父の記事を見たら、「一人が一番ホッとできて、他人がいると気を使っちゃって落ち着かない」というようなことを言っていて、やはりそうだったのねと思いました。(笑)

後編につづく

【関連記事】
<前編はこちら>娘が語る谷川俊太郎 体調が悪くても「病院には連れていかないでくれ」と言っていた父。その理由は俊太郎さんの母が延命治療で…
<後編はこちら>娘が語る谷川俊太郎 最期まで老いと死を見つめ、自身の言葉と向き合っていた父。詩人になった理由を尋ねると「詩を書かなければ家族を食べさせていけないから」と…
追悼・谷川俊太郎さん 伊藤比呂美さんと語った人生感「あきらめることがすごく好きになってきた〈詩人が語る自他〉」