凶行に及んでしまう人とは紙一重の差

怒りの矛先は夫に向けるべきなのに、なぜ女性に対する怒りが湧き起こったんだろうか? 

夫を自分の所有物のように思ってしまっていた。私のモノがとられると感じた瞬間、凄まじいエネルギーが爆発し、歪んだ形で攻撃へと向かった。嫉妬が引き起こす妄想が膨らむと、道徳や理性なんてぶっ飛んでしまう。

夫を奪われることへの嫉妬、執着や独占欲からなのか、自分が蔑ろにされていることへの怒りだったのか、今でも区別がつかない。

「どんな手を使っても相手を倒さなければ。これは正義だ」と自分の衝動を正当化し、合理化していた。あの感情の暴走が、一歩間違えればニュースになるような事件になるのかもしれない。

私は運が良く、抱きしめてくれる長男がいたから「こんなことバカバカしい」と気づくことができたのだろう。

さすがに金曜は飲みに行かずに帰ってきたが、その後、夫と後輩がどうなったのかは知らない。

あれから10年。私たちの関係は変わらないままだ。今は子どもと穏やかに暮らせて、自分の人生に集中できればそれで良い。夫がどこか怪しく思えても自ら匂いを嗅ぎに行くことはしない。正直、もう嫉妬するのも怒り狂うのも面倒臭いのだ。

ただ「何かするにしても絶対にバレないようにしてね。次は抑えられるかわかんないから」とたまにチクチクしている。

私と、凶行に及んでしまう人たちとの違いはほんの紙一重の差で、もしかすると私も衝動のままに相手を破滅させていたかもしれない。

しかし憎しみを一瞬晴らしたところで、被害者はもちろんのこと加害者自身の人生もめちゃくちゃになり、元の日々には決して戻れない。その先にあるのは破滅と虚無だけなんじゃないだろうか。

もし嫉妬による怒りで何かしら無茶をしてしまう人がいるのなら問いたい。自分の人生を台無しにするほどの価値が、その相手にあるのだろうか。

あなたはそのエネルギーを、あなた自身の人生のために使うべきだ。

このエッセイが誰かの衝動を抑える手助けになるのなら、私の惨めな体験をさらけだした甲斐があるってもんだ。

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著者・斉藤ナミさんと婦人公論.jp池松潤が日常に潜む「幸福な立場への嫉妬」を徹底解剖。世界史を動かした嫉妬の正体や、AIに感情を教える「嫉妬AI辞書」まで語り尽くしました。今回は「夫の浮気相手への嫉妬について」語りつくします。
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