母親の出自はほとんどわかっていない
母親は「天瑞院殿」「大政所」、ドラマや小説では「なか」と呼ばれることが多い人物です。
実際に「なか」という名前だったかは当時の史料からはわかりません。本当の名前がわからないので、天瑞院殿と呼ぶことにしたいところですが、親しみを持ちにくいので、一般的に広く知れ渡っている「なか」を本記事では通称として使わせてください。
なかの出自についてもほとんどわかりませんが、青木家(秀吉・秀長らの従兄弟の家)に伝わるという系図によると、愛知郡の住人・関弥五郎の娘だといわれています。もしこの系図の情報が正しければ、なかは名字を名乗れるほどの有力百姓の生まれということになります。
永正14年(1517)生まれで、21歳の時に秀吉、24歳の時に秀長を産んだと考えられます。秀吉が天下人となるのを見届け、天正20年(1592)に74歳で死去しています(年齢はいずれも数え年)。
