「開成」の由来は……

開成高校は、明治4年(1871)、神田淡路町に共立学校として創立された。のちに、元首相の高橋是清を校長として、大学予備門(のちの旧制一高)への進学者のための受験予備校となり、盛況だった。一時、府立に移管され、明治28年(1895)に東京府開成尋常中学校となった。「開成」とは、『易経』の「夫れ易は物を開き務めを成し天下の道を冒う」からとっており、人知を開発し、仕事を成し遂げることを意味する。

明治34年(1901)に私立へ復帰して東京開成中学校となり、大正13年(1924)に現在地に移る。JRと地下鉄千代田線の西日暮里駅の西側にあり、至近である。

『日本の名門高校 - あの伝統校から注目の新勢力まで』(著:八幡和郎/ワニブックス)

先輩の面倒見がよく、一つの「ミニ社会」で社会人としての訓練を受けるという。秋ではなく、春の母の日に開く運動会が重要な行事で、「棒倒し」など伝統に基づく種目で競い、それが終わると、受験勉強に全力を注ぐ。荒川河川敷でのマラソン大会や、戸田漕艇場での筑波大学附属高校とのボートレースは伝統行事だ。

町村金五(北海道知事)、内田祥三(建築学者、東京大学総長)、大野晋(国語学者)、武藤敏郎(元財務次官)、岸田文雄(元首相)、松本大(マネックス証券社長)、武見太郎(日本医師会会長)、斎藤茂吉(歌人)、柳田国男(民俗学者)、きだ みのる(作家)、猪俣公章(作曲家)、北村滋(元国家安全保障局長)、落合陽(メディアアーティスト)などが、主な卒業生である。

首相を出せていないことを卒業生はたいへん残念がっていたが、岸田文雄首相の登場で溜飲を下げた。それを支えた中心には、渡邉恒雄(読売グループ本社会長)などの卒業生がいた。将来のホープとしては、小林鷹之(元経済安全保障相)もいる。

※本稿は、『日本の名門高校 - あの伝統校から注目の新勢力まで』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。

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