大学側からの強い要望で中等部を設けた

早稲田大学高等学院の前身は、早稲田大学が大学として正式に認められた大正9年(1920)に創立された高等学院で、旧制高校に相当するものだった。さらにその前身として、東京専門学校予科があった。戦後の学制改革で、ほとんどの旧制高校は大学の一部となったが、早稲田では高校になった。昭和31年(1956)、現在の上石神井に移転、平成22年(2010)、中学部を新設開校した。大学と一体とされ、校歌も「都の西北」だ。

校風は極めて自由である。アメリカンフットボールの強豪で、全国大会優勝経験も持つ。

『日本の名門高校 - あの伝統校から注目の新勢力まで』(著:八幡和郎/ワニブックス)

大学側からの強い要望で中等部を設けたが、男女共学には慎重である。校舎は、西武新宿線上石神井駅から北に徒歩10分足らずのところにある。

卒業生に、赤松広隆(元衆議院副議長)、河野洋平(元衆議院議長)、秋草直之(富士通会長)、出井伸之(ソニー社長)、海老沢勝二(NHK会長)、隅修三(東京海上ホールディングス社長)、中島聡(マイクロソフト・チーフアーキテクト)、石山修武(建築家)、青島幸男(作家、元東京都知事)、上祐史浩(ひかりの輪代表)などがいる。

もう一つの直営校である早稲田大学本庄高等学院は、平成19年(2007)に男女共学化した。一般に「早実」の校名で知られるのが、早稲田実業学校。平成13年(2001)に国分寺市に移転し、翌年には男女共学となった。もともとは商業高校だが、昭和39年(1964)に普通科を設け、男女共学化と同時に商業科を廃止した。野球部は、王貞治選手がエースだった昭和32年(1957)春と、斎藤佑樹の平成18年(2006)の夏に甲子園で優勝している。

直営以外の高校では、早稲田高校が、令和7年(2025)度の入試において東京大学に30人の合格者を送り出している。もともと大隈重信の教育理念に基づくが、組織的には関係がなかった。1979年に系属校となり生徒の半数余りが推薦で早稲田大学に進む。

※本稿は、『日本の名門高校 - あの伝統校から注目の新勢力まで』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。

【関連記事】
<私立御三家>の一つ「麻布高校」は、首相や学者、俳優など多彩な人材を輩出してきた。都立高校の学校群制度採用後は東大合格者数も増加し…
自由・闊達の校風を持つ「筑波大学附属駒場高校」。制服がなく、携帯電話やパソコンの持ち込みも自由。開成や麻布に合格した生徒にも選ばれることが多いワケは…
悠仁さまも学んだ伝統校「筑波大学附属高校」は、「自主、自律、自由」をモットーに生徒の総合力を重視。さらに学問以外の活動も大切にしていて…

日本の名門高校 - あの伝統校から注目の新勢力まで』(著:八幡和郎/ワニブックス)

開成、灘だけじゃない!

地方の隠れた伝統校から躍進する首都圏進学校まで、難関大学へ圧倒的な合格者数を誇る高校の真の実力がこの1冊に。