「写楽=複数人説」を取ったワケ

写楽の正体について「写楽=複数人説」をとるというのは、割と最初から決めていたんです。

(『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』/(c)NHK)

もちろん美術史として「その正体は斎藤十郎兵衛」といった一応の決着を見ていることは存じ上げた上で。

というのも、実際に写楽の残した絵をずらっと並べてみたら、どうしても「複数の人が携わっていた」と考えた方がしっくりくるように感じて。

写楽は約10か月とも言われる、とても短い期間に多くの絵を残しています。あれを一気に世へ出したのだとすれば、少ない時間でものすごい量を準備しなければならなかったはず。果たして本当に1人でできたのか?

また4期まであるとされている写楽の絵ですが、2期以降の絵では、1期で描いた顔をコピーしたようにして使っている。なので「これ、やっぱり何人かで手分けしてやったんじゃない?」って。そんな感想を経て、「写楽=複数人説」で進めることを決めた次第です。

その中心に“歌麿”というのも、もともとアイデアとしてありました。実際「写楽=歌麿説」というのもかつて言われていた、と聞いていましたし。