家を出るきっかけは

一方、私は実母とは不仲でした。保険の営業をしながら、女手一つで私を育ててくれた母。しかし、私が高校生のころから、離れて暮らすようにしています。

当時、新興宗教にのめり込んだ母との間に溝ができ、喧嘩が絶えなくなって……。ある日、いつもの口論が大喧嘩に発展し、思わず母を蹴っ飛ばしてしまいました。母のお腹にはあざができていて、「このままでは私は母を殺してしまう」と思い、私が家を出る決心をしたのです。

アルバイトをしながら下宿生活を始めたのですが、高校の学費の支払いも止められて。母が勝手に契約していた私の保険料の支払いもする羽目になりました。

結婚後も、保険料の取り立てに来た母と私が、言い合いになったことがあります。そのときは黙ってみていた太田でしたが、母が帰った後「あれは親じゃないな」と、ボソッと言いました。

そんな母が80歳を過ぎたころ、近所の方から「倒れた」との連絡が。最初は「絶対にあなたの世話にはならない」と、ことあるごとに言っていましたが、次第に私の提案を受け入れるようになり、わが家で一緒に住んでいた時期もありました。今は100歳近くなり、施設で暮らしています。

母から言われた言葉の数々は、今思い出しても頭にきます。母が亡くなったとしても、悲しみはあると思いますが、私はおそらく涙を流さないでしょう。

でも、幼いころは、母のことが大好きだったのですよ。それでも、無理に好きになる努力は、ずいぶん昔にやめました。ただ存在を受け入れるだけ。残りの人生は、自分のために生きていけたらいいなと思っています。母に対しても同じ思いです。

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