辻褄が合わない?
ところが、弥右衛門が亡くなったのは天文12(1543)年とされています。
これを秀長の生年と照らし合わせると、辻褄が合わないという指摘があります。
秀長の生年は同9年あるいは10年とされています。秀吉の母が、弥右衛門が亡くなるより前から竹阿弥と密通していたと考えない限り、秀長の父も弥右衛門でなければおかしい、という指摘です。
もっとも、弥右衛門が戦場で負った怪我のために農作業ができず、女手ひとつでは二人の子ども(秀吉とその姉)を育てられなかった秀吉の母は、弥右衛門の生前に彼と別れて竹阿弥との再婚に踏み切り、竹阿弥との間に秀長と妹が生まれた、という可能性もあります。そう解釈すれば、秀長の生年と弥右衛門の没年は矛盾しません。