『武功夜話』に記された事績
それ以前の秀長の事績が書かれている史料はあるのかといえば、豊臣家に仕えていた前野家に伝わる古文書のひとつ『武功夜話(ぶこうやわ)』があります。『武功夜話』に記された秀長の事績を時系列に並べると、次のようになります。
永禄5(1562)年、百姓をしていた秀長のもとを、織田家の足軽百人組組頭となっていた秀吉が訪ねました。秀吉に説得されて、秀長は秀吉の部下となって戦国の世に飛び込みます。同8(1565)年、秀長は秀吉の鵜沼城攻めに参加し、初めて本格的な合戦を経験。この戦いで秀吉は長井隼人佐(ながいはやとのすけ)の攻撃を受けますが、秀長は側面から長井軍を攻め、兄の窮地を救いました。
同9(1566)年、美濃(現在の岐阜県)の斎藤氏攻めの拠点として、土豪(その土地の小豪族)の蜂須賀小六(正勝)の協力を取り付けて墨俣(すのまた)城を築城しました(俗に「墨俣一夜城」として知られています)。このとき、小六は秀長の朴訥(ぼくとつ)として仁義に厚い人柄に惚れ込んで味方になったといいます。
元亀元(1570)年、越前の朝倉氏との金ヶ崎の戦いで秀吉は退却戦の殿を務め、秀長は退却軍の最前線で奮戦して血路を開き、退却を成功させました。
