けれども、全身が脱力した体重50kgの大人はどうでしょう。実際の体重よりも、重く感じられるはずです。50kgの寝たきりのおばあさん、わたしひとりでは持ち上げられません。おそらく、男性バレエダンサーが持ち上げても、同じ感想を抱くはずです。リフトなんて不可能。
人間の身体には、ダンベルみたいに持ち手がついているわけではありませんからね。ぐにゃんぐにゃんになった、または拘縮(こうしゆく)してカチコチになった身体を横に向けるだけでも、慣れていないとこちら側がすぐに腰や背中を痛めてしまいます。
この状態で数日〜数週間だったら家で介護できるかもしれませんが、年単位でのケアは無理だと思われる家族がいても、当然だと思います。いくら患者さん本人が自宅療養を希望していても、です。介護をする側の生活と人生を奪う権利は、誰にもないんです。
そして、酷な話かもしれませんが、パートナーや子どもはその存在を本人が望んでいますが、親を選んでその人は生まれてきたわけではありません。仮に良好な家族関係だったにせよ、子どもがその親でよかったかどうかは、測ることができないのです。
親の弱っていくさまや社会性を失っていく姿を見つめること、そういう状態の親のそばで、子かつ介護者として時間を過ごす過酷さというのは、言葉にできないものがあるように感じます。
※本稿は、『人生の終わり方を考えよう 現役看護師が伝える老いと死のプロセス』(高島亜沙美:著/KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
『人生の終わり方を考えよう 現役看護師が伝える老いと死のプロセス』(高島亜沙美:著/KADOKAWA)
死を見つめることは、生を考えること。老いや死にも、準備と努力が必要です。
老いのプロセス、介護保険の仕組みと実情、終末期医療と緩和ケア、死の事前準備と終活、自分らしい最期を迎えるためのポイントなど、現役看護師だからこそ伝えられる、自分らしい最期の迎え方。





