曹洞宗宗務庁や大学の研究所などから「うちに来てくれ」とありがたい誘いを数々いただきましたが、きっぱりとお断りし、愛知専門尼僧堂に戻って修行に打ち込むことにしました。
思えば、あのとき初めて「授かり」の人生を自らの手で「択び」取ったのです。たった一度の命の時間を最高のものにしたい。そのために仏の道を歩もうと決めて。31歳のときでした。
私に限らず、人生の始まりは授かりの世界ですから、自分ではどうすることもできない。意に沿わないからと文句を言ってみても始まりません。問題は、それをどう受けて立ち、自らの手で転じていくか。何が幸せかを考えて択び抜く。そのまなざしの深さ・高さが、歩んでいく道を決めるのだと思います。
哲学者ルソーは、著書『エミール』でこのように語りました。「人は、裸で生まれ、裸で死ぬ。その中間でさまざまな着物を着る。女王のように華やかな衣装、物乞い、僧服、金持ち、社長、美人、さらには主義、うぬぼれ、劣等感など……。すべては衣装。ほとんどの人が衣装ばかりに目を奪われ、裸の私自身をどうするかを忘れてしまっている」と。
ルソーの言うとおり財産も名誉も地位も、さらにはうぬぼれや劣等感すらも、つかの間、身にまとう衣装であり、仮の持ち物にすぎません。病気や死の前では何の役にも立たない無力なものばかり。
そんなものに執着するのでなく今日只今(こんにちただいま)、「裸の私自身」がどう生きるかを択び抜き、不幸なできごとさえ「おかげさま」といただくことのできる心のあり方を手にする。それこそが本当の幸せでしょう。