病から学んだ「当たり前」のすばらしさ
尼僧堂の朝は早く、3時台に起床して4時には坐禅を始めます。さらに私はずっと、講演や坐禅の指導などで忙しく全国を飛び回る生活を続けてきました。
ところがここ数年、立て続けに大病をいただいて。脳梗塞、心筋梗塞、大腸がん、心臓発作、がんの肝臓転移、大腿骨骨折……よくもまあこんなに、と自分でも驚くほど(笑)。しかし、おかげさまでようやく人様を見舞う資格ができたと安堵してもいます。
元気なうちは、どんなにがんばっても他人事。病を得てはじめて自分のこととして見舞えるようになりますから。仏教の同悲(他者と悲しみを同じくする)の教えに、わずかなりとも近づけた気がするのです。
周りには心臓発作とがんの転移で二度も葬式の覚悟をさせてしまいましたが、病気から学んだことは計り知れません。なんといっても一番は、「当たり前」のすばらしさ。普通に立って歩いて食べて眠る。その当たり前が、いかにありがたいことか改めて味わうことができました。
人は皆、病気になると治りたい一心で治療法を懸命に探し、病院に通い、まじめに薬を飲むようになるもの。病という苦しみが原因となって、救いを求める心が起きるのでしょう。なにも病気に限ったことではありません。私たち人間は、苦しみや悲しみに導かれて、切に求める心が生まれるのです。