当時は200ドルしか外貨の持ち出しができませんでしたから、自分で稼がないと生活が成り立ちません。僕は日本ですでにアルバムを一枚作っていたので、すぐにミュージシャンとして仕事ができるようになりました。
65年の秋からニューヨークにいましたが、治安が悪い時代。でもみんなから「ブラザー、ブラザー」と呼ばれて、ハーレムにもジャムセッションに行きましたよ。怖い思いをしたことは一度もないし、本当に恵まれていたと思います。
そんなわけでアメリカ行きが大きな転機になったわけですが、次の転機は、ブラジル音楽との出合いです。65年の5月、ゲイリー・マクファーランドというヴィブラフォン奏者が、ブラジル音楽を取り入れた『ソフト・サンバ』というアルバムを作って大ヒット。
そのゲイリーが、バークリー時代の僕の先生にツアーメンバーを紹介してくれないかと頼み、先生が僕を推薦してくれた。そこからブラジル音楽に興味を持ち始め、68年以降はよくブラジルにも行き、演奏するようになりました。
アフリカとの出合いも大きかったですね。72年、日本テレビから声がかかり、ケニアに2週間、行くことになったんです。ケニアは人々が純朴。自然もダイナミックで、大好きになりました。
僕は渡米してから、徹底的に合理的なジャズをやってきましたが、ブラジルやアフリカと出合ったことで精神的にすごくオープンになった。音楽だけではなく、生き方も変わった気がします。たぶんそれが、僕の音楽にも表れているんじゃないかな。