(写真:stock.adobe.com)
●母の最期は食事を摂れなくなり点滴だけが頼りだった。しかし点滴の針が腕に入らなくなって足に刺すと、早く抜いてほしいと母が態度で見せた。

でも私は最後の1滴まで入れたかった。もっと楽に死なせてあげればよかったと悔やんでいる

(72歳・パート)

 

●元気だった母は88歳の時に突然くも膜下出血を起こし救急搬送された。緊急手術を受けた後、医師から気管切開をすると告げられた時は、その後どうなるかをよく知らず合意した。

母の表情には明らかに嫌がっている様子が見てとれたが、いずれよくなると信じていた私はただ宥(なだ)めていた。

しかしその後、母は気管切開のせいで言葉を発することもできず、死を待つだけのような状態で最後の5年あまりを過ごして亡くなった。

思い返すと、医師は患者のQOLについて無関心であったのだと思う。もっとよく医師と話し合うべきだった。

あんな状態で生きながらえざるをえなかった母はかわいそうだった

(68歳・年金受給者)

 

●父に最後まで食事をさせてやりたかった

(76歳・会社員)

 

●治癒できると思ったため、父の最後を飲めず食えず話せずの苦しい3ヵ月間にしてしまったこと

(71歳・パート)

 

●88歳で亡くなった母は「家に戻りたい」と言っていたのに、面倒を見られないという理由で、病院で最期の日を迎えました。

今考えるとひどいことをしてしまったと反省しています

(79歳・年金受給者)

 

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