昔から母はとにかく家事をしなかった。物を捨てられないのに、買うことだけは大好きで、部屋はいつも物であふれていた。洗濯物を畳むこともせず、取り込んだものを紙袋に放り込み、着るときはその中から自分たちで探せと言う。毎週末、たくさんの紙袋の中から体操服を必死に探しまわるのが恒例だった。

掃除も洗濯もきちんとしないなら、せめてよその家のお母さんみたいな料理は作れないのか? 思春期に入りかけた頃、母にそう言ったこともあるが、けろりとした笑顔で言い返された。

「掃除や洗濯、料理をしたら、家族の誰がそれに対してお金を払ってくれるの? くれないでしょ? バカバカしいから、もう家事なんてやりたくないの」

それ以上、言い争う気力もなくなった。

強いて言えば、母は有名ブランドの食器をいくつも買い揃えていたため、お皿だけは豪華だった。その大皿に、チンしたコロッケがぽつんとのっている。付け合わせは決まって茹でたブロッコリー。

それも、毎日茹でるのは面倒だという理由で、大量に茹でだめしたものを3日も4日も出し続けるから、たまったものじゃない。日が経つにつれ、水分が出てきたベチャベチャのブロッコリーを、解凍したコロッケに添えて平気で出すのだ。

味噌汁はいつしかインスタントになり、コロッケ続きの夕食に文句を言えば、翌日はレトルトカレー、もしくは缶詰の魚のかば焼きが冷たいまま皿にのって出てくる。そしてその翌日は再び、コロッケと水浸しのブロッコリーが続く──。

 

結婚し、母の死で完全に自立できたはずが

ほぼ毎日同じものを食べさせられていたせいか、特に高校、大学時代は体調が思わしくなく、体重が増えがちだった。吹き出物もできるし、常に体がだるかったのを覚えている。そのため、母の夕飯を逃れるべく、サークル仲間と外で済ませてきたりもしたのだが、無駄な抵抗だった。

「外食じゃ、ちゃんと食べられないでしょ?」

と、遅く帰ってきた私に、無理やりいつものコロッケと水浸しのブロッコリーを食べさせようとする。断れば、

「せっかく用意したのに、食べてくれないの?」

と、幼児のように拗ねて、こちらが食べると言うまで部屋に行かせてくれない。母はこうして娘たちに家でごはんを食べさせることで、主婦としての義務を果たしていると思わせたかったのかもしれない。