今回、カノコといっしょにカレーマイル、レストランを探して歩いて行くうちに、ある駐車スペースに見覚えがあり、ハンドルを切って車を入れてという一連の動きを思い出して、あたしは震えた。その真ん前の店が、まさしく十五年前に夫と入った店だった。
昼食タイムをとっくに過ぎて、夕食には早い時間だった。他に客もいなかった。夕日の差し込む窓際の席であたしたちが注文したのは、辛くて赤くてちょっと酸っぱみのある、マスタードオイルの味のするヴィンダルー。それから味噌汁みたいな存在のダル(豆スープ)。天ぷらみたいなパコラ。夫もいっしょに食べてるような気がした。
食べながらあたしがカノコに語ったのは、夫が家でホスピスケアを受けることになり、入院していたリハビリ施設から家に帰って、最初に食べたのがテイクアウトのインド料理、ダルを何度もおかわりして食べた、数日後に死んだから、それが最後のちゃんとした食事だった、なんていう話。──十五年を経て同じ店で同じヴィンダルー。あたしたちにとって一生残る記憶になると思う。
今は旅も終わって熊本にいるから、あたしが語りたいのは何よりも犬猫のこと。
帰ったとき、クレイマーは、いつものように感極まって、泣きながら全身でからみついてきた。チトーもそうだった。メイもそうだった。でも後の二匹は、姿も見せない。呼んでも来ない。「無視する」が、母の長い留守に対するかれらの抗議というわけですか。
次の日、エリックがさっぱりした顔であたしの前に出てきて、猫じゃらしを振ったらいつものように遊んだ。仲直りした。その次の日、つまり帰って二日後、テイラーがあたしに頭をすりつけ、視線を合わせて「にゃー」と言った。仲直りした。
その間、クレイマーはずっとあたしを見ているのだ。チトーやメイをかまっていると、あたしを見つめたまま、嫉妬して、自分も、と催促して、喉音で「ぐう」と言う。
『対談集 ららら星のかなた』(著:谷川 俊太郎、 伊藤 比呂美)
「聞きたかったこと すべて聞いて
耳をすませ 目をみはりました」
ひとりで暮らす日々のなかで見つけた、食の楽しみやからだの大切さ。
家族や友人、親しかった人々について思うこと。
詩とことばと音楽の深いつながりとは。
歳をとることの一側面として、子どもに返ること。
ゆっくりと進化する“老い”と“死”についての思い。






