「今、46歳ですが、いまだにどこか伸びしろがあるんじゃないかと思っている自分がいるんですよね。」

演劇研究会で仲間と出会って

うちは裕福ではないものの、何の不自由もない家庭環境だったので、大学には当然進学するものだと思っていました。本当に親には感謝ですね。釧路教育大学を受験するはずが、当日、胃痙攣をおこしちゃって試験を受けられなかったんです。それで札幌の北海学園大学に進学しました。

下宿は賄い付きで4畳半。もちろんトイレは共同で、風呂は週2回でした。ただ、夜中に天井からガサゴソ音がするのが気味悪くて、5月に一度、実家に帰ったんです。お小遣いをもらってまた下宿に戻ったんですが、心配した親父から電話がかかってきて、「どうだ、天井の音は?」って。不思議なことに何も音がしなくなっていたんですよ。親父からは、「金がほしかっただけじゃねえか」と笑われましたけど、あれ、何だったんだろうなあ。

サークルは、スティングが好きだったのでベースでもやろうとジャズ研究会に入部したものの、レベルの違いを思い知らされ、次に勧誘されたグリークラブに行ってみたんです。その日のうちに先輩の下宿に連れて行かれたんだけど、壁にボコボコと穴があいている。聞くと、酔っぱらってあけたっていうじゃないですか。怖い先輩だなと思って即入部をやめました。

それで、僕がやりたかった雑誌編集の仕事に有利だと聞いてESSへ行ったものの、英語がしゃべれないから全然合わない(笑)。そんな時、秋の学園祭の模擬店でたまたまESSの隣で団子を売っていたのが演劇研究会。すごく楽しそうで、これだったら内気な僕でも大丈夫だなと思って入会しました。

ここで仲良くなったのが、後に演劇ユニット「TEAM NACS」を立ち上げる森崎博之、戸次重幸、大泉洋、音尾琢真の4人です。

楽しくサークルを続けてはいましたが、本格的に芝居をするとなると札幌には東京や大阪みたいな芸能の土壌がない。演劇で食っていけるかというとそれは現実的ではなく、卒業後は総合病院の医療事務員として就職しました。

でも相変わらず内気だったので、食堂でみんなとご飯を食べることができなくて……。いつも近くの公園に行って、1人で弁当を食べていたんです。結局、仕事も合わず10ヵ月で退職しました。