幼い頃は、四六時中寝ている子だった

生まれは鉄鋼の町、北海道室蘭市の絵鞆地区です。父は溶接工、母は保険のセールスをやっていて、僕は3歳上に兄貴がいる次男坊です。当時は託児所なんてないので、母ちゃんは僕をおぶい紐で背負ってセールスをやっていたみたいです。

そんな母ちゃんの働く姿を見ていた支部長さんが、自分にできることは何だろうと考えて、会社の隅に授乳したりオムツを替えたりする場所を作ってくれたそうで。母ちゃんは「いまだに忘れられない」って感謝してます。もう45年ぐらい前の話です。

小学校の1、2年生の頃は、学校から帰っても家に誰もいないから寂しくて、母ちゃんの勤める会社へよく電話してました。0143の22の〇×〇×って。今は知り合いの電話番号もわからないのに、この番号だけは覚えています。

母ちゃんは出先から帰って来るとタオルケットを掛けて一緒に寝てくれて、僕が眠るとまた仕事に戻るんです。冬なんかは、何を話すでもなくストーブの前に座って一緒に過ごすだけでしたけど、それだけで子どもはホッとするんですよね。

小さい頃はボーッとした子で、寝るのが好きだったな。寝る癖がついたのは共働きだった両親のせいですね(笑)。親父が遅番の時は、朝、仕事に出掛けていく母ちゃんと入れ替わりで帰って来るんですが、親父は帰るとすぐに布団に入るから、僕はまた親父と一緒に寝ることに。そうすると、四六時中、寝ていることになってしまうんですよ。正直、今も眠いです。(笑)

そういえばこの間、入院した母ちゃんの見舞いに行った時に、初めていろんな話ができました。今話題の炎鵬関を十両の時から応援していたという話を聞いて、母ちゃんが相撲好きだとわかったり、いわさきちひろさんの絵や人生に詳しいことも初めて知りました。

親父と一緒に酒を飲むと、「俺は昔はなあ」って話をされましたけど、母ちゃんからは“一人の女性”としての話を聞いたことがなかった。なので、そういう時間が取れたのは嬉しかったです。

中学、高校と地元の学校へ進みました。中学2年生の時に好きな子ができたんですが、ある日、その子が廊下を走っている柔道部員をスッと振り返って見ていたんですよ。今思えばただの条件反射なんですけど、僕はそれを勘違いして、「あ、柔道が好きなんだ!」と思って柔道部に入部したんです。なのに、その子は剣道部に入っちゃった(笑)。

僕はなんでも始めると長いというか、やめるのがイヤで、高校もずっと柔道部です。ただ、人より不器用なので、黒帯を取るのに高校2年までかかってしまいました。