「家庭内虐待」における、ある【傷の記憶】

あらためて「躾」とは、いったい何なのでしょう?

『かくれトラウマ - 生きづらさはどこで生まれたのか』((著:井上陽平/ワニブックス)

私の母はいつも「ちゃんとしなさい」「遅い」「何度言わせるの」と怒っていました。けれど、私にはその「ちゃんと」が何を指すのか、よくわかりませんでした。

たとえば、朝。布団をきれいに畳まなければいけません。母の基準に合わなければ、「やり直し」。モタモタしていると、突然、布団叩きで背中や腕を叩かれました。

叩かれると痛くて手が止まってしまう。すると、「怠けるな!」とまた叩かれる。そのまま一時間近く立たされたあと、ようやく終わるかと思えば、今度はビンタと説教。そしてまた布団叩きでバシバシと叩かれます。座り込むと「反抗」と見なされ、お仕置きが増えました。

もう何十年も経ったはずなのに、あの痛みは、まだ消えていません。

見た目の傷は治っても、心と体の奥に染み込んだ痛みは、今も日常の中に突然現れます。大きな音や怒鳴り声を聞くと、体が勝手にこわばります。誰かが少し不機嫌なだけで、「自分が悪いことをしたんじゃないか」と無意識に自分を責めてしまう。

何か失敗したときも、ただのミスでは済ませられません。

「また怒られる」「また叩かれる」そんな記憶が体に焼きついていて、手が震えたり、呼吸が苦しくなったりします。過去の記憶がフラッシュバックして、涙が出そうになることもあります。「もう大人なんだから平気でしょ」と言われても、心は置き去りのままなんです。

あのときの小さな自分が、今も胸の奥で震えている。まだ、「大丈夫だよ」とやさしく抱きしめてくれる誰かを、ずっと待っている気がします。