「躾」という名の虐待がもたらすもの

「躾」という言葉のもとで繰り返される暴力は、外から見ても、なかなか本当の傷までは見えません。けれど、たしかに、子どもの心と体を深く、静かに蝕んでいきます。

たとえば「布団の畳み方が遅い」「掃除が雑だ」。

そんなあいまいな基準に従わなかっただけで、叩かれる、立たされる、冷たい水を浴びせられる、食事を抜かれる。こうした日常的な厳罰は、はっきりと「虐待」です。

本来、躾とは、子どもが社会の中でのびのびと成長できるように、そっと背中を押すもの。でも、支配と恐怖によってコントロールしようとするなら、それは躾ではありません。

「ちゃんとやらなきゃ」。

そう思い詰めて、小さな胸をぎゅっと固くして、恐怖の中で適応しようとする子どもたち。一見、素直でよくできた子に見えるかもしれません。でもそれは、その子が生きのびるために必死に身につけた”戦略”です。

虐待の影響は、子ども時代だけでは終わりません。大人になっても、大きな音を聞くだけで、体がビクッと固まる。誰かの機嫌に異様なほど敏感になってしまう。これは心と体が常に緊張している「過覚醒」と呼ばれる状態。脳と神経が、絶えず危険を探し続けるサバイバルモードに入りっぱなしになるのです。

かつて受けた体罰の傷は、見た目には治っていても、寒さや風など、ふとした感覚刺激に触れた瞬間、あの日の恐怖を呼び覚ましてしまうことがあります。

「冷水を浴びせられた感覚が、冬の風に触れたとたんによみがえる」。

そんなふうに、過去が今を侵食するのです。