200万匹の「虫コレクター」
残るは死亡時期の推定だ。そのために私たちは、リエージュ近郊のベイヌ=ウセ村で一般医として開業していたマルセル・ルクレルク医師(1924~2008)の助力を求めた。マルセルは小柄で、とても陽気で、微笑みを絶やすことのない好人物であり、蠅に関する面白いエピソードの宝庫だった。
毎週月曜日、マルセルは私たちの勉強会―司法当局に協力している法医学医たちの集まりであり、前の週に体験したケースを発表する場であった―に出席していた。彼は以前より蠅に強い関心を寄せていた。医学部の学生だったころ、生物の試験の折に蠅を持ち込んで教授に知識を披露していた、という筋金入りである。バカンスや学会で出かけるときは、黒い傘、じょうろ、蚊帳に使われるような目の細かい網を欠かさず携えていた。日の当たる場所で傘を広げ、これに水を垂らし、虫が水を飲みにやって来るのを待ち、やって来たら網を被せる。このようにして、200万匹を超える蠅やそのほかの虫のコレクションを築き上げた。
マルセルの昆虫法医学の知見は国際的にも高く評価されていて、マスコミで大々的に取り上げられたケースも含め、さまざまな事件の捜査に不可欠な情報を提供してきた。私たちは彼を「ムッシュー・ムーシュ」と呼んでいた[フランス語でムッシューはミスター、ムーシュは蠅を意味する]。
マルセルが私に、面白いエピソードを語ってくれたことがある。
極めてデリケートな事件において、発見された複数の死体の上に蠅がいるのが見つかった。重大案件ゆえにベルギーの捜査チームと司法当局は、アメリカのFBIに助力を求めた。連邦政府から手厚い支援を受けていることもあり、FBIが駆使するテクノロジーや手段は進んでいて、欧州の同業者が嫉妬で蒼ざめるほどだ。
ただし、論理的なアプローチを得意とするFBIの回答は、これまた論理的だった。「当方はお役に立てません。アメリカの蠅はベルギーや欧州の蠅とは異なります(これは本当である)し、自分たちは後者の蠅についての知識を全面的に欠いている上、アメリカにいながらにして必要な知識を獲得する手段がないのです」という旨の説明だった。そして、FBIはこれに続けて、「そもそも、現代の昆虫法医学の発展を牽引したのはマルセル・ルクレルクという名の人物であり、リエージュの医師であります」と指摘した。ベルギーの捜査チームと司法当局は、この回答を聞いてどれほど驚いたことか! まさに灯台下暗しである。
法医学の世界で、マルセル・ルクレルクは権威であり、2008年に亡くなった後も彼の論文は頻繁に引用されている。彼は353もの論文を発表し、3冊の本を著し(そのうちの1冊、1978年に出版された『昆虫学と法医学』は今でも私の本棚に並んでいる)、昆虫法医学の知識を社会に広めるための映像作品3本(そのうちの1本、モナ・リザ・プロダクション制作の『蠅戦争』には私も協力した)を監修した。
マルセルは、ジャン=ピエール・メニャン(1828~1901)の忘れられていた業績を発掘し、現代のニーズに合わせてアップデートし、大幅な改良を加えた。なお、フランスの獣医かつ昆虫学者であったメニャンが1894年に上梓した『死体の動物相』は、昆虫法医学の礎石と呼ぶことができる著作であり、現在でも出版されていて入手可能である。法医学の波瀾万丈の歴史の中で、メニャンは不当にも忘れ去られた感がある。