京都に関心がなかった朝倉義景
まず確認しておきたいのは、朝倉氏の基本的な姿勢です。
足利義昭が越前に赴き、「自分を京都に連れて行ってほしい」と頼んだとき、朝倉義景はこれをはっきり断っています。
歓迎はするけれども、京都への軍事行動には関わらない、というわけです。
ずいぶん正直な話ですが、それだけ京都には関心がなかったということでしょう。
歴史的に見ても、この姿勢は一貫しています。
加賀の一向一揆とは戦っていますが、京都方面へ進出しようとした形跡はほとんどありません。
また、この後の姉川の戦いでも、義景自身は出陣していないのです。
どちらかというと、一乗谷を拠点に自分の領国を安定させることを優先する、かなり内向きな勢力だったと言えるでしょう。
いわば「外には出たくないタイプの戦国大名」です。
そう考えると、「京都の秩序を守るために朝倉を攻めた」という説明は、少し無理があるように思えます。
そもそも京都に関わろうとしていない相手を、わざわざ排除する理由が見えないからです。

