当時は「高いニッポン」
賃金と物価が諸外国に比べて低すぎる現象は「安いニッポン」とよばれている。その原因は円安もあるが、根本的には、日本の賃金と物価が30年間にわたって据え置かれてきたことだ。海外はその間、右肩上がりだった。その結果、賃金と物価の内外格差は、毎年少しずつ、しかし着実に拡大した。
なぜ私たちの社会は物価と賃金の据え置きを続けてきたのか。ターニングポイントは1990年代半ばで、その象徴が95年に発刊された日経連のレポートだ。メッセージはシンプルで、日本の賃金が高すぎる、このままでは中国企業と競争できない、人件費を抑えなければならない、というものだった。
バブル期に企業が大盤振る舞いをしたため、円建ての賃金は高かった。それに95年の超円高が拍車をかけ、ドル建てでみて世界トップクラスの賃金になった。つまり、当時は「高いニッポン」であり、それが日経連の時代認識だった。
財界の言い分はわからないでもない。しかし労働組合としては到底、呑める話ではないはずだ。ところが連合は2000年代に入るとベアの統一要求見送りを決めた。連合にとっての最優先は雇用の確保だったからだ。
