雑談こそもっとも有望な頭の訓練

3人以上が集まってたのしく話し合うことはなかったが、ひとつおもしろい例外があった。数人が集まって、めいめいが句をつくる連句、俳諧が生まれたことである。その前に連歌があったが、ことばの交響ということにかけては俳諧連句に及ばない。

連句はしかし文語である、文字のことばの交響であった。話すことばで、おしゃべりのおもしろさを出すことに成功したのは、菊池寛の主宰する「文藝春秋」であった。座談会と呼ばれて、たちまち、広まったが、雑誌などの記事になったという点で、なお、文字的なしばりを受けていた。長い歴史がありながら、座談会文化を生むまでにはなっていない。

(写真提供:Photo AC)

形式はすぐれていても、話し手の能力にもうひとつ欠けるところがあったものと思われる。いま、座談会は知的な表現様式ということが難しい。せっかく世界に比を見ない新しい形式であるのに新しい文化を育てることが出来なかった。日本人が話すことばをバカにしているせいであろう。

文字ことばがコンピューターに侵食されつつあるのを見れば、活路は話すことば、それもひとりごとやふたりでの会話ではなく、何人かで、たのしく談論すれば、その間に、真に新しい着想につながる。雑談こそもっとも有望な頭の訓練ということになる。

文字を読む目の知性のほかに耳と口で話し、聴く知性のあることを、われわれは知らなかった。これはどんなに大きな損失であるか、もちろんお互いはよく知らない。