当時のアメリカの一般市民の生活へといざなってくれる
労働で1日のほとんどが終わる彼にとって、唯一の楽しみが、地元ラジオ局のフレッド・テンプルのラジオ番組だったんでしょう。コールマン・ドミンゴの見事なDJと選曲が、私たちを当時のアメリカの一般市民の生活へといざなってくれるのも、この映画の醍醐味。
この作品を監督したガス・ヴァン・サントは、青春期をカナダ国境近くのポートランドで過ごしたようですが、私は実はその町を訪ねたことがあります。遠くに見える山脈と森、湖しかないようなところ。『ツイン・ピークス』の舞台もそんな街でしたが、アメリカって、シカゴやニューヨーク、カリフォルニアみたいな大都市はごく一部で、ほとんどの土地はスーパーに行くのに車を30分も走らせないといけないような場所。
『バス停留所』の脇のカフェテリアで働くのがせいぜいで、女で美人なら農場主や農園主の妻になれれば御の字。男ならガソリン・スタンドで働いて、家と車を買って、妻と子どもをもてたら上々みたいな。男も女も、保守的な街で孤独に過ごし、わずかな楽しみをラジオやテレビに見つけて気が付けば年老いていく。『マディソン郡の橋』もそんな話でしたね。ドレスなんて買っても着ていく場所なんかない。それが当時のリアルなアメリカなんだと思います。
自由の国というけれど、ゴールド・ラッシュの裏には、土地を追われて滅んだインディアンがいたし、南部の繁栄を担ったのは奴隷制度。やがてエンターテイメントの世界で黒人の才能がもてはやされたけど、麻薬づけになったスターもいました。今では、インターネットで誰もが発信者になれると持ち上げられ、気が付けば私たちは1日中携帯やパソコンから離れられない中毒者になりました。自費で番組を作り続けても、広告収入を得られる人はごく一部。数年に一度は新型パソコンを買い替えねばならず、頑張るほどに金持ちの権力者にしてやられ続けるのが一般人。
この映画は、「そんな「成功」の夢に踊らされずに生きる方がいいのかも」と私に感じさせてくれました。トニーに誘拐された息子が、「助けてほしい」と父に電話をした時、父親は「あんた本当に親?」と言いたくなるような態度をとる。息子の命を心配するより、「弱者から巻き上げて何が悪い」という態度をとり続ける父親にはびっくり。息子は本当にさみしそうで、「お金持ちだから幸せってわけじゃない」と思わずにいられませんでした。さらにこのいや汁たっぷりな父親を演じたのがアル・パチーノと知り、二度びっくり!
