「もう殺そう」脳内で母殺しを決行

母との繋がりを失った私は、次々に湧き上がる感情と心ゆくまで対峙した。

子ども時代の不遇を嘆き、母の堕胎に憤ったかと思えば同情し、母の誕生日が近づくとソワソワし、母好みの雑貨に自然と目が行き情けなくなり、ありとあらゆる感情が溢れた。そして息子から祖父母を取り上げる自分は何なのかと、自問自答した。しかし、そんな建前でなだめられるような感情ではない。夢に出てきた母にすら反抗できず、出さない手紙を書き散らして思いを整理し、脳内で実家を燃やす想像をした。それでも母は、私の中から消えない。

ある時、「もう殺そう」と思い立ち、脳内で“母殺し”を決行した。ナイフの購入段階からつぶさに想像していく。実家への懐かしい道を歩き、チャイムを鳴らして出てきた母に、無言でナイフを振り下ろす。小さな反抗すらできなかった私が“母”という存在を自分の手で抹殺できたことは、自信に繋がった。

まるで、いい子でいるのに疲れ果て、金属バットを振り回す中学生みたいだった。思春期の非行に関する書籍を読むと、驚くほど心境が一致している。彼らは私と同じように、自分を支配する親を否定し、いい子になりきれなかった自分を消したくて暴力行為に及んでしまったのではないだろうか。

いったんすべてを母のせいにし、最低な自分に腹をくくると、不思議と寄り添ってくれる仲間が増えた。「お母さんを好きになれなくてもいいんだよ」「今あなたがしている作業は、箱庭療法のようなものだからどんどんやって」「たとえ本当にお母さんを殺しても会いに行くよ。あなたはあなただよ」と、思ってもみない言葉をかけてくれる。

私と同じ問題を抱える女性とも知り合うことができた。彼女の母親は私の母とは正反対で、子を支配するタイプ。互いのケースを比べ合い、時にはうらやんだ。彼女が「私も、自由を尊重してくれるお母さんがよかったな」と言えば、「私はわかりやすく支配してくれる、あなたのお母さんみたいな人がよかったよ。そうしたらもっと早く親に反抗できたかも」と返す。とはいえ、彼女も母への反抗を経て絶縁という結果になっているのだから、どうしようもない。「私たちの母親、違いすぎるのに結果が同じって何!」と笑い合い、私たちのあいだには戦友のような強い絆が生まれた。

穏やかな家庭で育った夫も、最初は親子間の奇妙な確執に困惑していたものの、苦しむ私を慰め見守ってくれた。ネガティブな感情が直接母に向かわずに済んだのは、この思いを共有し励ましてくれた彼らの存在が大きかったと思う。