衝撃の堕胎告白に自分を保つことが難しく…
ところがある日、心の堤防がついに決壊する事件が起きた。両親や夫の親族が大勢同席する場で、妊娠の報告をした時だ。流産経験のある母に配慮し、安定期に入るまで両家に伏せていた。ようやく伝えることができて安心したのも束の間、あろうことか母は、3度の堕胎を酒に酔った軽い口調で告白したのだ。聞いていたのは私と義母だけだったが、突然の爆弾発言に、義母を気遣うこともできず固まった。
頭の中が真っ白になり、泣いたらいいのか怒ったらいいのかもわからない。しかも堕胎した子は皆、父との間に授かった私の“きょうだい”だった。彼らは母の手で殺され、今まで存在すら知らされることはなかった。母の流産経験を気遣う気持ちが、空しく宙に浮いた。
命の大切さを説くべき親が、初めて妊娠した娘に堕胎の事実を突きつけるとは。夫婦間の妊娠で3度の堕胎は許しがたい数だ。経済的に困窮していたわけではないのに、なぜ。父との子なのに、なぜ。疑問と嫌悪感が頭を駆け巡った。
息子が生まれてからは過去を振り返る時間が増え、「母を好きな自分」を保つのが困難になっていった。私の子ども時代は、母を助けることで犠牲になったのではないか。これまで自由に選んできたはずの人生は、母好みの生き方をなぞっていただけではないか。白だと思っていたものが、オセロのようにどんどん黒に裏返る。
こんなことになったのは父の責任も大きいはずだと、父に怒りをぶつけた。父は錯乱状態の娘を受け止めるだけで精いっぱいだったようで、ついにメールの返信も来なくなり、絶縁状態に。そして、母との交流も途絶えた。