膿を出し尽くした後は、純粋な「ありがとう」へ

母への恨みつらみと向き合うにつれ、「こんなに憎ませてくれてありがとう」と、不思議な感謝の気持ちが芽生えてきた。最初は矛盾をはらんだ未知の感情に戸惑ったが、これほどまでに自分の感情と向き合えたきっかけは、結局のところ、母の堕胎とありえないシチュエーションでのカミングアウトのおかげなのだ。

状況は変わらなくても、私の心が変化したことで、悪いことばかりではなかったのだと受け止められるようになった。会えなかったきょうだいへの思いも、「かわいそう」から「きっかけをくれてありがとう」へ──。

それでも憎しみは残りカスのように現れて、しつこく私を苦しめる。そんな時には一人カラオケで号泣しながら歌い、母からもらった手紙をビリビリに破き、ついには自分のヘソの緒をミキサーで粉砕して飲んでみるという奇行にまで及んだ。思いついた方法には恐れながらもチャレンジし、試行錯誤しながら這うようにして少しずつ前進するのみだった。

 長年溜め込んだ膿が出尽くし、母への思いが純粋な「ありがとう」に変わるころ、祖母の法事で両親と再会。すると、以前なら決して言えなかったであろう「私に感謝してよね」「親の前で言うのも何だけど、さんざん憎んだよ」といった言葉を、あっさり伝えることができたのだ。

母は不快感を示すどころか、「娘の前で言うのも何だけど、親は何度でも憎んだほうがいいよ」と笑った。母も私と同様に、亡くなった祖母との関係を清算する過程で苦しんでいたのだ。涙の復縁とはほど遠いが、互いに本音をさらけ出せたのは、子どもの時以来のような気がした。