本誌で高い人気を誇る「読者体験手記」。市井の人々のリアルなエピソードだからこそ、ときにフィクションより生々しく私たちの心を揺さぶります。今回は、ふとした拍子に母の秘密を知ってしまった娘に訪れた“大人の反抗期”の顛末。長年演じ続けた“良い娘像”をたたき壊した先に待っていた結末とは?

結婚後に芽生えた自由と、母への疑問

「毒親」というと、常識や世間体を重んじ、支配的なイメージがある。私の祖母はそのタイプに近い人で、母は祖母を反面教師にし、自立と自由を優先させる正反対の生き方を選んだ。特殊な専門職で経済的自立を果たし、私と2人の弟を生み育て、父との関係もおおむね良好。女性が欲しいものすべてを手にしたような母を指して、多くの人から「お母さん、すごいね」と言われたものである。

仕事で忙しい母と海外出張で1年の半分以上を留守にしている父に代わり、就学してからは家事や買い物、歳の離れた弟たちのお守りを一手に引き受けた。保育所のお迎え、病院の付き添い、中学に上がると学校の懇談会への出席も。母のお稽古事の時間をつくるためなら、部活を休むことも厭わなかった。

そのことに寂しさや憤りを感じるでもなく、自分が助けるのは当たり前のこととして気にも留めずにいたのだ。一方、母は子どもにとって大事な受験や就職という場面にも無関心。母と衝突する機会を逃し、何の疑問も持たぬまま私は大人になった。

母との関係に黄信号が灯ったのは、結婚後だ。夫の実家はスタンダードな家庭。親が子に口出しする姿が新鮮に映り、アットホームに見えて憧れた。干渉し合うことを嫌う母の場合、相手が家族であろうと、プライバシーに立ち入りジャッジする言動を避ける。だから母と話すといっても対話ではなく、それは彼女の仕事についての一方的なマシンガントーク。私への質問や気遣う発言は一切ない。私は「うんうん」と受け止めるだけだ。

そのうちに、亡くなった祖母に対する愚痴まで交ざりはじめた。それを不快に感じているのに、なぜか「おばあちゃんのことを、そんなふうに言うのはやめて」と伝えることができない。型が体に染みついた歌舞伎役者のように、無意識に母の喜びそうな受け答えをし、褒められそうなファッションで実家を訪れる。少しずつ増える疑問を直視せず、「母を好きな自分」に踏みとどまろうとしていたのだ。