すべて予言されていた「日本必敗」への道
いよいよ机上演習が始まったのは夏に入ってからである。研究生たちは「模擬内閣」を結成し、それぞれの専門分野に基づいて内閣総理大臣以下、各閣僚に任命され、「総力戦」を想定したシミュレーションを行った。総力戦においては、軍事物資をはじめ、全体としての「国力」を見極める必要がある。その点、研究生たちはもといた官庁や企業で各産業のデータに精通していたため、現実の内閣なら縦割りの壁に阻まれて共有されにくい数字が「閣僚」全員の手元に開陳された。
すると、まずは石油や鉄鋼などの資源が圧倒的に不足していることが大きな壁として立ちはだかる。それらを確保するためにインドネシアへ侵攻し、日米開戦に踏み切ったとしても、今度は運ぶ手立てがない。日本郵船にいた研究生が計算したところ、物資調達に必要な船舶は、英米の攻撃によって3年で3分の1まで減ってしまうことがわかった。これではいくら油田をおさえたとしても、本国に届くわけがない。
実際、日米開戦後にこの通りのことが起き、海軍による商船護送作戦が行われたが、これは各艦隊がおのおの独自に実施したにすぎなかった。輸送手段が尽き、思いあまったパレンバンの製油所長は、生ゴムの袋に石油を詰めて海岸から流したこともあったという。当然、それが日本へ届くことはなかった。そもそも、現実の内閣においては、物資の輸送方法について徹底的に検討されないまま、開戦へと進んでしまったのである。この点だけを見ても、若き「閣僚」たちのほうに先見の明があったといえるだろう。
データと知力の限りを尽くし、2ヵ月の激論を経て彼らがたどり着いたのは、「緒戦、奇襲攻撃によって勝利するが、長期戦には耐えられず、ソ連参戦によって敗戦を迎える」という苦い結論。現実をぴたりと言い当てたこのシミュレーションは、8月の末、当時の近衛内閣閣僚に直接報告された。そのなかにはもちろん、当時の陸軍大臣、のちに総理大臣を任命される東條英機もいたのである。