多くの取材で得た経験値
その後のザ・ワイド時代、続く、ウェークアップ!ぷらす(司会・辛坊治郎キャスター、前出ウェークアップ!の後続番組)時代でも医療系の取材は途切れる事は無かった。
腸管出血性大腸菌O─157の堺市学童集団食中毒事件(1996年)では、児童約9千人が感染し3人の児童が死亡。原因究明と感染メカニズム取材で日本テレビ系列報道賞も頂いた。関西空港検疫所取材やiPS細胞と山中伸弥京都大学教授の取材、天皇陛下(現・上皇陛下)の心臓手術執刀医として知られた天野篤順天堂大学医学部特任教授の密着取材、北里大学病院の密着取材、聖路加国際病院の密着取材と日野原重明名誉院長(故人)の単独インタビュー、海外で承認されても、日本で承認されず患者に新薬が届くまで時間が掛かってしまう遅延問題「ドラッグ・ラグ」取材も何度も行い番組で特集した。
そんな経験から、関西医科大学では、5年間医学部でマスコミと医療報道について特別講義も経験させていただいた。ある程度の病院や医療への知識は持っているつもりではいたが、鳥取大学医学部附属病院の実情については、市民と同じレベルだった。
ただ、取材でこれまで様々な病院や医師に実際に触れ、病院とはどんなもので、そこに働く医師や看護師はどんなことを考え悩み働いているかは、ある程度、肌感覚で掴んでいた。
同時に病院運営と同じくらいに、面倒で厄介な番組を数えきれないほど制作し、取材スクープもそこそこは、手にしてきた。そして、何より一癖も二癖もある番組スタッフを束ね、視聴率戦争を勝ち抜いてきた。そんな私の番組経験は、原田病院長のリクエストにきっと応え得る、経験値なのでは無いかと私は、原田さんに仕事を引き受ける旨のメールを返信しながらボンヤリ考えていた。しかし、それは甘い考えだったと後に後悔することになるのだが、この時には、昭和育ちのテレビマンらしくノリと好奇心が先立ち、そんなことは1ミリも考えていなかった。
