信孝が勝家と一益に、秀吉への対抗を呼びかけ

先ず秀吉は亡き織田信忠(信長の嫡男)の子・三法師を安土に迎えてこれを「守護」せんとしたと。

しかしそれを快く思わなかったのが、三法師を擁する織田信孝であり、信孝は柴田勝家と滝川一益に「若君(三法師)を秀吉に渡すことは彼(秀吉)1人が天下の政務を担い、権威をほしいままにするのと同じこと」と言い、共に秀吉に対抗することを要請したのでした。

こうして秀吉と勝家の対立は軍事抗争へと発展していきます。

そして勃発したのが賤ヶ岳の戦い(滋賀県長浜市)でした。

(『豊臣兄弟!』/(c)NHK)

天正11年(1583)4月20日のことです。