会話被せの達人
私は若い頃から、自分が言おうとしていることをしっかりと言い終わらないうちに、他の人の言葉が被せられてしまうという環境で育ってきた。日本では、人の話をしっかり最後まで聞けない人は非常識とみなされ、周りから避けられたり嫌われたりしてしまうことが必至だが、イタリアでは違う。
ああ、またこいつオレの言葉が終らないのに被ってきやがったな、と思っても、誰もそこで大人しく引き下がったりはしない。相手が被せてくるのならこちらも被せる。テニスや卓球の変化球の打ち合いを、どこまで続けられるかやってみようじゃないの、という気構えになる。言葉の圧が強くなり、スピードが速まれば速まるほど、会話は白熱する。
テレビの討論番組なんかを見ていても、こんなことは日常茶飯事だ。会話のやりとりがヒートアップしてくると相手の発言が完結するまで待たれることはほぼ皆無となる。それどころか司会者まで討論者の会話に被ってくるので誰の言葉に耳をかたむければいいのかさっぱりわからなくなる。そういった多数の人間の混雑した発言の中から聞くに値する言葉を見つけ出すには、良い耳と直感力を持たなければならない。
私の周りにも会話被せの達人がたくさんいるが、一番の強豪は姑だろう。姑はせっかちでもあるので、人の話が半分にも達していないところで、「あなたが言いたいことって、つまりああでこうでそうなのね?」と顛末を先読みする。「ほら、この間マリオの家で食べた……」「ラザニア? ピッツァ? 肉? 何よ、そんなに不味かった?」と次に繋がるであろう名詞や動詞を投げかけてくるので、彼女のせいで話そうと思っていた事柄が軌道から逸れてしまうことがよくある。
