本質を見る目

佐藤さんは晩年、エッセイをたくさんお書きになっていました。それらは日常雑記というより、ものごとの本質をズバッと切断するものだった。

クスリと笑いたくなるような、皆さんおなじみの《佐藤愛子》を演じている面もあるけれど、首尾一貫した考えがにじんでいます。僕からすれば、エッセイというよりやさしい評論でした。

一方で、直木賞受賞作の『戦いすんで日が暮れて』や、芥川賞候補作の『ソクラテスの妻』『二人の女』など昔の小説を読むと、世間があまり知らないデリケートな文学的感覚もよく描かれている。佐藤さんの仕事を丁寧に読み直していくと、新しい発見があると思います。

そういえば対談でお目にかかった際、佐藤さんの『気がつけば、終着駅』という本の題名について話題になりました。昔、「終着駅は始発駅」という歌がヒットした話をしたのです。

対談当時97歳だった佐藤さんに、「浄土だか天国だか知りませんが、そこに向けてまた走りましょう、ということでしょうか」と尋ねたところ、「いやいや、私はもう走らなくていいですよ。十分に生きたという満足感みたいなものはありますから。(略)ここにいて座っているのも、あの世で座っているのも大差ありません」と答えられました。そして、「自分に与えられた人生だけは、十分に生き抜いた」と。

戦争を経て、大借金を乗り越え102年。最期まで《佐藤愛子》であり続けた。まさに生き抜かれた先達だと思います。

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