石田 入院して、激しい頭痛に苦しんだんですけど、それがだんだん治まってきて、自分でも大丈夫かなと思ったときに異変が起きました。

石田さんのロングインタビューが掲載されている『婦人公論』8月25日号

中村 何があったんですか。

石田 真夜中に血圧が下がって、脈拍が170くらいまで上がって。ダッシュで走っている時以上の異常な数値です。駆けつけてくれた看護師さんに「意識はありますから、大丈夫です」と伝えたら、「いやいや大丈夫じゃないです」と。あわやICU目前まで行きましたが奇跡的に持ち直し、九死に一生を得ました。

退院後、経過報告で病院に行ったとき、担当医が「石田さんは入院時から肺の状態がかなり悪く、あの時はもしかしたら、もうダメなんじゃないかと思った」と告げられました。特にあの夜は、おそらく午前2時くらいですが、「このまま悪化したら、最後になるかもしれない」という思いがよぎりました。真夜中だし、家族の声を聞くこともできない。だから妻のメールに、小2になる息子の理汰郎あてのメッセージを送りました。

中村 それって遺言ですよね。どんな言葉を?

石田 「地位が高い人やお金持ちが偉いわけじゃない。努力して新しい自分を獲得していくことが一番尊いんだよ。これを読むころにはもしかしたらパパはいないかもしれないけど、最後の言葉だ」と。

重症一歩手前で、自分がこれからどうなるんだろうという恐怖心はありましたが、父親として息子には何か言葉を残したかった。万が一のことがあったら、理汰郎以外は妻と幼い2人の妹です。石田家の男子としてしっかり強く生きてほしいという切なる願いでした。

 

ベランダ越しの交流が日課に

中村 生きて帰られて本当によかった。ご家族は退院を喜ばれたでしょう。

石田 5月12日に退院しましたが、しばらく家族とは接触できません。自宅に着くと、自室に直行してこもりました。食事は妻が部屋の前まで運んでくれて、コンコンとドアをノックして「置いとくよ、ごはん」。それをそーっと取って、ひとりで食べるという隔離生活です。

会話もなくひとりで食事をしていると、ベランダからガラス越しに理汰郎、青葉、つむぎの一男二女がひょっこり顔をのぞかせて、こっちをじーっと見ている(笑)。2歳の次女は僕の姿を発見して、無邪気にガラスをトントンと叩いてにっこり。すると長男が慌てて「近づいちゃダメだよ」とたしなめる。そんな子どもたちの様子を見ていると癒やされました。

中村 かわいいですね。

石田 4歳の長女はすごく照れ屋で、自分から何か話すような性格じゃないんですけど、退院した日に「パパ、よくなってよかったね。明日はもうちょっとよくなるからね」と励ましてくれましたし、ベランダ越しの交流が日課になって、それが終わると「パパ、また明日ね」と明るく声をかけてくれました。

僕が朝ごはんをひとりで食べていると、子どもたちが同じように朝ごはんをベランダに運んで一緒に食べてくれたこともあって。そうやってなついてくれる子どもたちの愛情というか、子どもなりに心配してくれる思いが伝わってきました。妻がそうやってしつけてくれているのもよくわかりますし、家族の温かみをしみじみ感じます。

中村 幸せですね。

石田 病気から回復し、隔離生活も解除されて家族の日常に戻ったいまは、まあ子どもたちは元気で、大変ですけどね(笑)。僕が新聞を読んでいて、こっちではキャッチボール、あっちでは漫画読んでて、そっちではブランコ。そしてワーワー騒がしくなると、妻はその世話でてんてこ舞い。

僕も妻の負担を増やさないよう、風呂掃除や庭掃除、子どもの送り迎えはやっていますが、妻の頑張りには到底及びません。こと家庭のことに関しては、自分なりに努力はしているつもりなんですけど、まだまだダメだなあと思います。