『アイ・ラブ・坊っちゃん』では和装で夏目漱石を演じた(写真提供:グランアーツ)

最初の井上ひさし作品出演は2007年の『ロマンス』で、チェーホフ役を年代別に井上芳雄、生瀬勝久、段田安則、木場勝己の四人で演じるという趣向が斬新だった。妻役は大竹しのぶ、妹役は松たか子で、こちらは通しで出演。この時の芳雄さんの熱唱は群を抜いていた。

――『ロマンス』の時の井上先生の言葉で特に印象深いのは、「笑いは人間にしか作り出せない」というものですね。笑う動物はいるけど、笑わせることはできない。

「人間が生きていくことは苦しいことばかりだから、そのために笑いを作り出すことが必要なんだ」――チェーホフの台詞なんですけど、その頃僕は若かったので、「え? 人生ってつらいものなの?」みたいな。

夢も叶っているし、平和な時代に生まれているし。でもその後、当然つらいこともたくさんあって、あの時の井上先生の言葉が、年々腑に落ちてきました。

『ロマンス』の次は『組曲虐殺』を書いてくださったんですが、主人公である小林多喜二が背負っている思想や信念があまりにも今の自分とかけ離れ過ぎていて、時代も死に方も、調べれば調べるほどすごい人だな、と悩んじゃいました。

演出の栗山民也さんからは「プロレタリア作家というのはそんな物言いはしないんだ」と言われ、まったく歯が立たず(笑)。でも多喜二の台詞の中に「書く時に体全体でぶつかっていかなきゃね」というのがあって、初めて開き直りにも似た決意が生まれました。

それまで、自分は役者に向いていないんじゃないかと葛藤してきたけど、多喜二の言うように、この役をいただいて、体全部でぶつかって一生懸命にやれたのだからいいじゃないかと。

実際、この作品で高い評価をいただいて、僕もちょっとは自信がついたかなと思います。

井上先生はこの作品を最後に亡くなられましたけど、その後こまつ座には『イーハトーボの劇列車』や『日本人のへそ』などの再演物に出演しています。ですから第2の転機は、やはり井上ひさし先生との出会いですね。