嫉妬は本当に愛の反対なのか?

俳優の彼に嫉妬したときと、今の私とでは少し違う。彼のときは、彼が成功することで他の女性の影がちらつき、恋人としての関係が終わってしまうかもしれないという、私にとって切実な恐怖があった。 

でも、彼女に対するこの感情はどうだ。 彼女がバズったところで、私が何かを奪われるわけでも、実害が出るわけでもない。それなのに、彼女が大きく羽ばたいていくのが見えそうになった途端、リツイートを消してしまうほどの黒い感情が湧き上がったのだ。

彼女への嫉妬は「私の知らないところへ行かないでほしい」という、ただただ醜いエゴだった。

こんなことは一度じゃない。私はこれまで何度も同じようなことを繰り返してきた。

「隣人に起きる善(幸福や成功)が苦痛だと嫉妬。隣人に起きる善が喜ばしいと愛。」

──トマス・アクィナス

この言葉を読んだとき、私は愕然とした。私は好きな人に起こる幸福や成功にすら嫉妬してしまうのだ。

本当に好きなら、相手の幸せを自分のことのように喜ぶべきだろう。私は、一体どこまで嫉妬深くて自分本位な人間なんだろうか。

こんな自分が大嫌いだ。

私は愛のない人間なんだろうか?

嫉妬と愛は、果たしてトマス・アクィナスが言うほど、そんなにきれいに分けられるものなんだろうか?
応援したい、力になりたい、祝福したい、という思いは確かにあったはずなのだ。

大切なものを失うかもしれないという恐怖も、私が要らなくなって、忘れられてしまうかもしれないという寂しさも、自分の手元に留めておきたいという醜いエゴも、最初は間違いなく「売れてほしい」「うまくいってほしい」という純粋な想いだった。

どれほどドス黒い感情に塗りつぶされたとしても、最初のあの気持ちだけは、嘘じゃなかったと信じたい。

(写真:AdobePhotoStock)

嫉妬は本当に愛の反対なのだろうか。

私にはまだわからない。

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