「わからないこと」にぶつかったらラッキー

かつて私は、ニュースの解説番組で子どもたちに「逮捕状は警察ではなく、裁判所が出します」と教えたことがあります。知識としては知っていましたが、子どもたちに「えーっ」と驚かれたとき、ふと「なぜ警察が自分で出せないのだろう」とあらためて考えさせられました。

これも整理してみると、非常によくできた仕組みであることがわかります。もし警察や検察が自ら逮捕状を出せる仕組みだと、容疑が固まっていない段階で逮捕状を乱発し、むやみに身柄を拘束できてしまう恐れがあります。重大な人権侵害につながりかねません。

『AI時代に自分の頭でどう考える?: 奪われるのは仕事か、思考か』(著:池上彰/Gakken)

そのため、明らかな容疑と証拠があることを担保するために、第三者である裁判所が客観的に検証する仕組みになっているのです。警察や検察が証拠を提出し、裁判官が「問題ない」と判断して初めて、逮捕状が発行されます。逮捕状を「請求する側」と「発行する側」を明確に分けることで、権力の乱用を防ぎ、人権を守る構造になっているわけです。

こうして一つひとつの疑問を解き明かしていくと、単なる「点」としての知識がつながり、日本の司法制度全体がどのような構造や仕組みで動いているのかが、立体的に見えてきます。そこで初めて、心の底から「そうだったのか!」と腑に落ちる。これこそが、本当の意味で「わかる」ということです。

もし私が新人の頃に生成AIがあり、「検察は逮捕できるの?」と尋ねていれば、AIは瞬時に「はい、検察も独自に逮捕する権限を持っています」と正しい知識を教えてくれたでしょう。私はそれを見て「そうか」と納得し、そこで思考を止めていたかもしれません。

「知った」から「わかった」への道のりには、「なぜ?」を重ねる問いかけが必要です。その問いかけをしないまま、AIが出した答えを「はい、そうですか」と受け取るだけでは、事実は頭の中に入っても、知識として定着しない。

「わかったつもり」は、「わかる」の最大の障害です。わかったつもりになると、そこで思考が止まってしまう。「わからない」という不満足な状態に耐えて、掘り続けることの中にこそ、本当の学びがあります。

だから私は学生たちによく言います。「わからないことにぶつかったらラッキーだと思いなさい」と。わからないことは、新しい扉の前に立っているようなもので、その奥にはいままで自分が知らなかった世界が広がっています。