大戦末期、戦艦大和とともに沖縄水上特攻を命じられた駆逐艦響は周防灘で触雷、落後する。乗組員の浦賀少尉は、日本の内海すら米軍の機雷で埋め尽くされた現実に愕然とする。
 戦後、海上保安庁で日本周辺の掃海任務にあたっていた浦賀だが、ある日、緊急電により下関へ向かう。そこには多数の掃海艇が集結していた……。当時の日本の難しい立場を背景に約三十年も秘された事実をもとに、日本人にもっと知ってもらいたいと願う直木賞作家の著者が、全力で挑む歴史大作、ここに開幕!


 九月に入っても、呉はまだ蒸し暑い。
 その日、宇(ウ)家の朝食はおかゆ、キムチと沢庵、あぶった小アジの開き干しだった。
 食べ終わるとすぐ、祖父はいつもどおり建設現場へ仕事に出かけた。祖母は手早く洗い物をしてから、ゴム長靴や地下足袋を作っている工場の食堂へ勤めに出かける。ふたりとももう還暦に近いが、愚痴も言わず毎日黙々と働いている。
 老夫婦の娘、宇潤雅(ウ・ユナ)は、「はるらさん」で出す料理の仕込みに取り掛かる。こちらもやはり毎日、黙々と手を動かしている。
 宇潤雅の姉の子にあたる梁泳葉(リャン・ヨンヨプ)は、はるらさんの店内にぼうっと佇み、できることがあれば潤雅を手伝う。
 おそろしく気が強く、その性格を引き写したように目元もきつい。そんな泳葉の叔母は、顔立ち以上に佇まいが、泳葉の母にそっくりだった。母と一緒になった父は、けっこう珍しい好みをしていたのかもしれない、などと泳葉は思う。
 自分も稼がなければ、といつも泳葉は思っている。じっさい、少し前までは求人を見つけるたびに働きに出ていた。
 だが、日本人が多い職場であれば何かと莫迦(ばか)にされる。気が短い泳葉はすぐ喧嘩に及んでしまい、たちまちクビになった。
 同胞が多い職場なら何事もないが、穏やかな環境に身を置けば置いたで、今度は胸がざわついてくる。
 済州島のあちこちに転がっていた死体、ゲリラに撃たれた父の死体。泳葉をゲリラと決めつけた兵隊たちが向けてくる銃口。潜水病に耐えながら貯めた、なけなしの金をはたいて泳葉を日本に密航させてくれた母の顔。それらがぱちぱちと脳裏に瞬き、そのたびに身体が動かなくなってしまう。
 経営者も従業員もみな同胞という土木の会社に勤め口を得ていたとき、一緒に働いていた四〇がらみの男性がいた。ふだんは元気なのに、木槌を取り落としたりモッコを担げずへたり込んだりしていた。
 周りの従業員は同胞を莫迦にはしなかった。けれど怠け者は容赦なくしかりつけた。男性はやがて、ひっそりと退職していった。
 ブラブラ病、と男性は言われていた。原子爆弾の炸裂に遭遇して以来、無気力や感情の揺れ、不眠に悩む人が少なくないという。問わず語りの昔話によると、その男性も、戦時中は広島の宇品(うじな)港に駐屯していた陸軍の船舶部隊で働いていて、原子爆弾が投下された当日は、死傷者を運ぶために何度も広島市中に入っている。
 生計を失うほど働かないのだから、泳葉には仮病とは思えなかった。ただ医学的な原因が不明なため、医者には治療ができず、自分で養生する方法も分からないという。
 泳葉は原子爆弾を見ていない。だからブラブラ病ではない。けれど、あの男性と同じように、ふいに身体が動かなくなる。だからどの職場でも長続きしなかった。けっきょく泳葉は、はるらさんでぼうっとしたり、忌まわしい記憶が閃く合間を縫って仕込みや接客を手伝いながら、日々を過ごしている。
 宇と梁、両家の故郷だった済州島は、ゲリラと軍隊の戦闘が終わらない。巻き添えになる島民は、泳葉が島を脱出した二年前より増えていて、日本へ密航する人は後を絶たない。島に残った母を助けに行くことも、さしあたりの面倒を見てくれている祖父母と叔母の生計を助けることも、できない。
 泳葉が屈辱混じりのいら立ちを募らせているうちに、半島で戦争が始まった。いずれ済州島にも戦火が及ぶかもしれない。大事件だと感じたが、外国で暮らす梁泳葉ひとりには何もできない。
 まただ、と泳葉は思った。
 生まれ育った大阪が空襲で灼(や)かれた。済州島で内戦が起こり強引な弾圧に発展した。どちらも泳葉は何もできず、ただ危険から逃がれた。できたばかりの祖国が大敗し、そこにある故郷も危うい今回も、何もできないのだろうか。
「頼まれてくれる、泳葉」
 ふいに、叔母の潤雅が声を上げた。小上がりの框(かまち)に腰掛けていた泳葉は腰を上げる。
「そこに新しいチラシを置いてあるでしょう。ジムショに持っていってくれる」
 潤雅が指差したカウンターの隅には紙の束が積まれていた。
 ちょうど泳葉が宇家に居ついたころ、韓国の在日同胞が組織した「在日本大韓民国民団」の広島事務所が呉にできた。客を嫌っているとしか思えないほど愛想がない叔母なりに商売繁盛をはかっているらしく、ジムショと勝手に通称している民団広島事務所にいつも、店のチラシを置いてもらっている。
「はい、分かりました」
 泳葉は歩み、チラシを一枚つまみあげた。「当紙ご持参のお客様には朝鮮漬一皿をサーヴィス」と書いてある。キムチは韓国料理を出す店のたいていなら無料で提供され、お代わりも自由だ。客寄せの特典にしては何だかけち臭く思う。「同胞女性の心地よい接客」などともある。実際は仏頂面の叔母がカウンターの向こうにいるだけなので、誇大広告な気もする。
「泳葉」
 チラシを抱えた甥に、叔母は言った。
「しなきゃいけないことを、できることから片付けていきましょう。身の回りの始末もつけないまま世界のことを考えても、仕方ないわよ」
 表向き、在日同胞のほとんどは黙々と生業を続けている。かといって祖国のなりゆきに平常心や無関心を保っているわけではない。叔母も同じなのだろう。
 はい、と泳葉はうなずき、はるらさんを出る。
 進駐軍なのか国連軍なのか、ともかく軍人や軍用車の往来がやたらと増えた街を横切ってジムショへゆくと、狭い室内はえらく騒々しかった。若い男が群れを成してカウンターに詰めかけ、数名の職員と切実な声であれこれ話している。
「おう、泳葉か」
 事務机が並んだ奥の一角から声がした。いつも気さくに接してくれる、いくらか年上の事務員が、立ち上がって手招きしていた。
「店の新しいチラシか。いつもなら人目に付く場所に出しとったんじゃが、しばらくはこの調子じゃけえ、ひとまず、わしの机に置いといてくれや」
「はい」
 泳葉はカウンターの脇から奥へ入り、事務員の机にチラシの束を置いた。
「けど、これはなんの騒ぎですか」
 泳葉が問うと、「ああ」と事務員は応じた。その声はどこか誇らしげだった。
「いま民団では義勇軍の志願兵を募集しとる。あんたも適齢(ええとし)じゃろう。ひとつ、考えてみんさい」
「ギユーグンのシガンヘエ」
 泳葉は首をかしげた。
「兵隊になって、敗(ま)けそうなわしらの祖国を救うんじゃ。そりゃあ立派なお役目よ。怪しい話じゃない。アメリカから頼まれてのことで、韓国の大統領もオーケーしとる。わしも行こうと思うとる」
 あ、と泳葉は思った。
 父の死体を背負ったときに血の匂いが、ふいに鼻の奥に差した。そのまま身体が硬くなる。勇ましい話を聞いているおまえは、平和の中にいる。体はそう言っているらしい。
「義勇兵」
 泳葉は繰り返す。しなきゃいけないこと。できること。叔母からもらったばかりの言葉を繰り返す。
 泳葉は密航者だ。堂々と済州島へ帰れる身ではない。帰れたとて、また「赤色分子(パルゲンイ)」と決めつけられたら命が危うい。
 義勇兵ならどうだろうか。当然、胸を張って韓国に入れる。作戦や戦況しだいで済州島に配属されるかもしれない。国のために戦うのだから、まず赤色分子とは疑われない。さしあたり稼ぎがない泳葉にとっては、ひょっとしたら戦後にもらえるかもしれない恩給も魅力的だ。考えれば考えるだけ、いいことづくめに思える。
「せやない」
 泳葉は声に出した。事務員は親しげな微笑みを絶やさぬまま、目だけを不審げに細めた。気にせず泳葉は胸の内で思いを巡らせ続ける。
 こまごました損得を理屈で詰めてゆくのは性に合わない。
 もう逃げたくない。それが本心のはずだ。
 済州島へ帰りたい。父を弔い、老いてゆく母を守って、こんどこそ平穏に暮らしたい。望みに手を伸ばす機会が目の前に現れた。手を伸ばさずにはいられない。
 ふわ、と身体が軽くなった。縄を解かれたように、強張りがほぐれた。
「俺、祖国の言葉はほとんど使えませんねん。韓国の兵隊に交じっても大丈夫ですか」
「安心せえ、儂も同じじゃ。志願した奴らも日本で育ったもんがほとんどよ」
「なら志願します。義勇軍に」
 事務員は「おっ」と声を上げ、それから表情を凛々しく改めた。
「志願は血書がええと聞く。わしと二人で、やってみるか」
「そんなん、しません」
 泳葉は首を横に振った。
「志願書がいるんやったら、何か筆記用具(かくもん)、貸してください」
 書類ごときに、しかつめらしく書類を審査するお偉いさんのためなどに、父母から享(う)けた大事な血は流せない。
 梁泳葉の血は、ただ自らの願望のために流される。         〈つづく〉                  
 

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