▼姉が介護してくれた
老衰で亡くなる91歳まで介護してくれた姉夫婦に感謝している。後悔する資格が私にはない
(68歳・パート)

 

▼そのときの最良の選択を
月に一度、東京から三重までの遠距離介護を1年間続けたあと、4年ほど高齢者施設に入所。誤嚥性肺炎を起こして87歳で亡くなった。私に仕事があり自宅介護はできなかったが、プロによる丁寧な介護と、衛生的で栄養バランスのよい食事のサービスを受けられた。「家に帰りたい」と言うことはあったが、母なりに受け入れていたと思う。打診された延命措置は、迷ったが断った。結果、亡くなる間際まで話ができ、穏やかに息を引き取った。母や私にとって最良の選択だったと考えている
(71歳・主婦)

 

▼家族で寄り添えた
胃がんで余命3ヵ月との診断。自宅療養中に吐血し、入院しました。父、妹、里帰り出産中の私の娘も含め、家族が全力で母に寄り添いました。母も最後まで生きる姿を見せてくれました
(64歳・会社員)

 

▼自分のベッドで
仕事が終わると、毎日実家で夕飯を一緒に食べて帰る。休日は朝から行って掃除、洗濯をし、母を車椅子に乗せて買い物に行くという生活を5年続けた。夕食後、いつものように自宅に戻ると、「様子がおかしい」と同居する兄夫婦から電話が。「お母さん」と私が呼ぶと握った手がぱたっと落ちた。「自分のベッドで死にたい」という遺言どおりの96歳の最期だった
(64歳・パート)

 

▼別れの言葉
亡くなる夜、母のベッドでずっと抱きしめていた。最後に「ありがとう」と言った
(87歳・年金受給者)

<3につづく>

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<前はこちら>亡き母への心残り「〈ありがとう〉を伝えられなかった」「母と暮らしたのは18年間だけ」「再現できない母の味」
<つづきはこちら>ふとしたときに思い出す母の思い出「料理を作りながら」「自分の声やくしゃみが母に似ていて」「娘と喧嘩したときに」
亡き母に伝えたい思い「家族優先で、お母さんの人生、楽しいことはあった?」「会いたい、頭をなでてほしい」「〈帰っておいで〉と言ってほしい」