イラスト:川原瑞丸
ジェーン・スーさんが『婦人公論』に連載中のエッセイを配信。コロナ渦の緊急事態宣言中に直面した現実に、終焉後の世界の変化を考えます――(文=ジェーン・スー イラスト=川原瑞丸)

喉元を過ぎても

国と都が発令した緊急事態宣言の影響で、私が通うマッサージもジムも、パーソナルトレーニングもエステも、すべて営業自粛となった。仕事場近くのスーパーは短縮営業を始めたので、18時には閉店する。もう仕事帰りに生鮮食品の買い物はできない。

私は私を健康に生かしておくため、多くのことをアウトソースしていたのだと気付き途方に暮れる。人はひとりでは生きられないという当たり前のことを、毎日突きつけられているような気分。私の困りごとなんて娯楽の延長だが、保育所やデイケアなど、生活の基盤を家庭の外に委託する人にとっては死活問題だ。自粛したくてもできない仕事が、世の中にはあるから。当然、そこで働き続ける人もいる。

一方で、自粛対象業種で働く人々や経営者の不安も底知れない。来るべきときが来たら必ずお金を落としに行くので、それまでにちゃんと補償を受け、なんとか生き延びてほしいと願う。

新型コロナウイルスを始め、人類は幾たびもウイルスのパンデミックに痛めつけられてきた。多くの人命が犠牲になり、一方で医学や科学や社会が発展し、なんとか遺伝子をつないできたのがわれわれだ。

新自由主義に席巻されつつあるなか、ウイルスは、「ひとりが自己中心的に振る舞うと他者の命がおびやかされ、結局は自分の命を危険に晒すことになる」と、われわれの横っ面をひっ叩きにきたようにも思う。

イタリアやニューヨークでは、患者を重症度や緊急度に基づいて分類し、治療や搬送の優先順位を決めるトリアージが行われている。

人工呼吸器不足から「より助かりそうな命」を優先し、超重症者からは呼吸器を外す。つまり、普段は救える命を後回しにするのだ。命を救うため医業を志した者にとって、これ以上の苦痛はない。そして、これは対岸の火事ではない。

そこでふと考える。社会による緩やかなトリアージは、以前からずっと行われてきたではないかと。

アメリカのイリノイ州シカゴでは、黒人の人口比率は約3割ながら、新型コロナウイルスによる死者では7割を超えたという統計が出た。なぜか? 差別起因の貧困のせいだ。休めない薄給の職種に従事する人が多いうえに、健康的な生活をする余裕がないから、基礎疾患を持つ人が少なくない。誰を責めるわけでもないが、「もう買い物には出掛けず、ネットスーパーにするわ」と言えるのは、配達してくれる人がいるからだろう。

ロックダウン後、ハワイでは多くのウミガメが砂浜に現れ、香港の動物園では、客に観られるストレスがなくなったパンダが10年ぶりに交尾した。インドでは公害が減り、空が青くなった。どれも素晴らしいことだが、その裏で28万人(*2020年5月12日現在)が命を落としている。

私はとても緊張している。コロナ禍が終焉したあと、私たちはどんな世界を再構築するのかと。

サステナビリティ(持続可能性)という言葉が流行りだしたときは、またわかりづらいカタカナが黒船に乗ってやってきたと半笑いしていたが、いまは真顔でそれを考える。同時に、9年前にも同じことを考えていたのに、すっかり気持ちが薄れてしまった自分を恥じた。

喉元過ぎればなんとやらで、同じ過ちを繰り返すかもしれない自分を、私は完全には否定できない。


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