ベネズエラで知った「自然体」でいることの大切さ

それにしても、あの頃の渋谷ってムチャクチャでしたよ。他校の男子生徒たちが派閥を作っていて、誰が一番強いとか、カッコいいとか、対抗意識が渦巻いていた。喧嘩もずいぶんしました。面白かったけど、しなくてもいいようなことをしてきちゃいましたね。

つるんで遊ぶ仲間は、本名さえ知らない、友達とも言えないような奴らで。渋谷のビリヤード場で、一緒にいた知り合いがいきなりナイフで刺されこともあった。僕も当時は、護身用のナイフを身につけていました。もちろん、ここにいたら死ぬなというような時は逃げましたよ。危険を察知する勘が働くので、一網打尽にされそうになった時も網にかかったことはありません。運も相当強いんだと思います。

そんな生活の歯止めになったのは、やはり両親の存在です。愛情をかけて育ててくれたので裏切れなかった。特に母親は真面目で厳しかったから、よく怒られましたね。親父は厳しくはなかったけど、母親を泣かすことだけは絶対にするなとキツく言われました。あと、喧嘩は負けるな、とも。男は強くあるべき、というのが親父の教えでした。

22歳の時に役者としてデビューさせていただきましたが、きちんとした演技の訓練をしていないから監督の要望に応えられません。台詞に専念すると体が動かず、体に意識が行くと台詞が出てこないというチグハグな状態がずーっと続いていた。この連ドラが終わったらやめよう、やめると言おうといつも思っていました。なのに、連ドラの最中に次の仕事が決まってしまうんです。

自分は役者に向いていないという悶々とした気持ちでいた25歳の頃、『世界ウルルン滞在記』の撮影でスリランカ、モンゴル、アフリカなど、毎年のように電気もガスも水道もないところへ行くようになりました。

30歳の時に訪ねた南米のベネズエラでの経験が、最大の転機になったと思います。ジャングルの中で狩猟と採集をして暮らしている“ヤノマミ族”と呼ばれる先住民族と10日間の共同生活をするうちに、それまでの自分の価値観が崩れていって、余分なものがそぎ落とされていくように感じました。

彼らは、どこの馬の骨だかわからない僕に、寝床と大事な食料を分けてくれました。もちろん病気になったり怪我をしたりもしますから大変だったけど、カメラが何かもわからない人たちを見ているうちに、自然に振舞っている人たちこそカッコいい、自分も彼らみたいに自然体でいたい、と思うようになったんです。