スカウトを受けた理由は「10万円」に目がくらんだ!?

この世界に入ったきっかけは、高校を卒業した頃に渋谷でスカウトされたからです。まさか自分が役者になるなんて想像もしてなかったですよ。芸能人なんてカッコよくもないのにカッコつけている人たちだと、先入観を持っていたから、2度断りました。じゃあ、なぜ3度目のスカウトでOKしたのかというと、毎月10万円くれると言われて舞い上がってしまったから(笑)。

でも、2年間ぐらいはレッスンには一度行ったきり。CMのオーディションで「この缶ジュースを持ってニコッとしてください」と指示されても、「いや、面白くないから笑えません」と言って帰ってくる。大変な問題児でした。何か面白いことを勉強できるんじゃないかと思っていた大学も、特に惹きつけられるものを見つけられず、徐々に行かなくなってしまいましたし。ホント、当時は特別したいこともなくて、この先どうしたらいいのかもわからなかったんですよね。

僕は東京の足立区で生まれ、サラリーマンの父と専業主婦の母の長男として、年子の弟とともに育ちました。小学校時代は非常に充実していて、2年生の時から剣道と習字を習い始め、4年生からは進学塾に電車で通っていたんです。勉強は面白くて、やればやるほど成績が上がっていきました。

ところが6年生の時、卒業前の合唱コンクールに向けて放課後に練習することになっていたのですが、僕は塾があるので、先生に断って帰ろうとした。すると、「みんなと一生に一度の大切な思い出を作ることを放棄しようとしているのよ」ってものすごく怒られたんです。その言葉に衝撃を受け、急に勉強することに価値を見出せなくなり、中学受験もやめてしまった。おふくろは「今までの努力は何だったの!?」って、あ然としていましたね。

中学では陸上部の顧問の先生に足の速さを買われて、幅跳びを始めたのですが、捻挫して大会に出ることができなかった。することがなくなって、唯一の楽しみは学校帰りに蔵前国技館でプロレスの試合を観ることだけ。ちょうどアントニオ猪木さんの全盛期でした。好きな子もできず、不完全燃焼のまま中学校生活は終わりました。

塾の先生に薦められて入学したプロテスタントの男子高は、聖書の授業や礼拝の時間があって結構面白かった。おふくろが、英語塾に通わせてくれたこともあって、英語にすごく興味がありました。その頃から、学校帰りにディスコへ行ったり、渋谷で遊んだりするようになって……。ボストンに留学していた女の子と渋谷で出会ってつきあい始め、彼女から外国の音楽や映画、ファッションのことを教えてもらって、外国に対する憧れを抱くようにもなりました。

原田龍二さんと1泊2日の大人の旅が体験できる好評のデジタル写真集「愛シリーズ」。全裸で泳ぐカットは原田さんもお気に入りだとか(撮影・木邑旭宗/©講談社)