日中戦争が長引くなか、軍部は国民に対し戦地の様子を多角的に報告させようと、有力な作家や音楽家に戦地の視察を命じた。古関も軍からの要請を受け、昭和13年9月従軍楽団部隊として中国に派遣されている(中央の和服の女性の左が古関。写真提供:古関正裕さん)

映画主題歌を求める大衆

日中戦争が長期化すると、次第に国民の間から緊張感がなくなっていく。レコード会社各社が、戦争という流行に乗っかり、戦時ものの流行歌である戦時歌謡を毎月発売したことも、大衆が似たり寄ったりの作品に飽きる要因となった。そうした大衆の空気を察したコロムビアは、昭和13年9月10日に松竹映画「愛染かつら」が封切られると、主題歌「旅の夜風」(作詞・西条八十、作曲・万城目正、歌・霧島昇、ミス・コロムビア)を臨時発売した。たちまち映画とともに大ヒットした。

従来は映画と主題歌がともにヒットすることが少なかったが、「愛染かつら」によって両者の関係性が変わったのである。松竹の看板俳優である上原謙が演じる病院の御曹司と、田中絹代が演じる看護婦とのラブストーリーで、「旅の夜風」はクライマックスの新橋駅でのすれ違いのシーンを盛り上げた。「旅の夜風」は、日本語の語感を活かした音づけがなされ、伴奏は程よく軽快で、歌唱はしとやかである。

これを機に各レコード会社は、戦時歌謡だけでなく、戦前に見られた映画主題歌など戦時色のない流行歌を併せて発売していく。日中戦争下に国家は国民生活を抑制して、軍歌や戦時歌謡だけを聴かせていたなどと考えるのは誤りである。

レコード会社は、戦時歌謡が売れるから作るのであり、そのブームが下火となり、大衆が戦時色のない作品を求めるようになると、手の平を返したように方針を変えている。また戦時中にもかかわらず、国家や軍部が恋愛映画やその主題歌を禁止処分にしていないことにも注目すべきである。この時代を単に「暗い世相」だという先入観で見ると、見失ってしまうものが多いことを指摘しておく。

『古関裕而 流行作曲家と激動の昭和』(刑部芳則・著/中公新書)※電子版もあり