なんとか人生がつながった
中村 俳優をやめて別の人生を歩もうという考えは、頭をよぎりませんでしたか。
小出 俳優をやめるという気持ちはなかったです。ただ自分が置かれた状況をみると、めちゃくちゃしんどかった。14年間の俳優人生のなかでも地獄です。何があろうと頑張るぞという気持ちはあるんですけど、ふとした隙間にそんな気持ちを挫くような何かが忍び寄るんです。
大阪での取り調べでホテルに滞在中、たまたま窓が開いていて、ここからぱっと飛び降りたらすべて楽になるんじゃないかとか、そんなふうに思ったこともあって。もちろんそれは一瞬ですけど。そのときはもう本当につらくてつらくて、いくら反省しても足りないような気がして、全員から責められているような感覚でした。ひとりで抱え込んでいましたから。
とはいえ何度も言うようですけど、自分が引き起こしたことだから当然責任はありますし、今も反省し続けています。
中村 涙することはありませんでしたか。
小出 騒動後、追い詰められている最中にはあまりにも憔悴しすぎて、そんな余裕もないというか、茫然自失の状態に陥っていました。最初に涙が出たのは、2017年の12月に不起訴が決まった時です。共同通信のニュースで知りました。それまでいろいろと悔しい思いもありましたし、悲観的になるというよりも、ぐっとこらえていましたから、張り詰めていたものが緩んだのでしょうね。
中村 17歳の少女をバーなどへ連れ回したとして、大阪府の条例違反で大阪地検に書類送検された件ですね。不起訴と知って、どういう気持ちでしたか。
小出 これでなんとか俺の人生はつながったんじゃないか、と……。
中村 その時、ご両親とはどんなお話をされましたか。
小出 両親とはあまり会ってなかったですね。向こうもナーバスになっていて、僕自身も何か、気軽には接することができなかった記憶があります。僕のことを信じてないわけではないけど、世間や事務所に大変な迷惑をかけてしまった、という認識を持っていたのではないかと思います。
中村 芸能界で成功された息子さんが、こういう形で注目されるとは思ってもいなかったでしょうね。
小出 そのギャップを受け止めることはつらい作業だったかもしれません。そんなふうに思わせてしまったことが、息子として非常に心苦しかったです。
中村 本来ならば支え合えるような友人とも関係を遮断されているなかで、何が支えでしたか。
小出 すべて清算したら、アメリカに行って、一度ゼロから自分と向き合い、学び直そうという気持ちはどこかにあったと思います。それに思いを馳せることが、もしかして救いになっていたのかもしれない。
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――本誌では、仕事を失うことになった3年前のできごと、NYでの生活、そして深い反省と復帰に向けた覚悟を語っている。