やんちゃ盛りのハリー(犬)撮影:村井理子

「村井さん、大丈夫ですか?」

しかし、犬よりも心配すべきなのは、当然、子どもたちのことだった。まだ小学生のうえに、男児だ。男児と女児を比べてどちらがどうと言うつもりはないが、わが家の男児は2人とも、同い年の子どもたちに比べれば若干幼く、甘えん坊で、そのうえやんちゃだった。それに、夫が会社に行ってしまえば、下校時間に家に戻り、彼らを出迎えることは難しい。鍵を渡すことも出来るだろうが、子どもたちは玄関を開けて、それから? 食事は? 翌日の学校のしたくは? まずいなあ……と、思わず口に出して言ってしまった。でも、冷静に考えると、一番まずいのは自分なのだった。

というのも、心臓の動きをリアルタイムでモニタリングされている私のもとに、頻繁に救急病棟の看護師さんが走ってやってきては、「大丈夫ですか!?」と緊迫した声をかけるのだ。のんきな声で大丈夫だと答えると、「……そうですか、よかった」と、唖然としてナースステーションに戻るということがひっきりなしに続いていた。つまり、そのときの私の心拍数は危険なほど多く、きっと私以外の誰もがそれをとても心配し、様子を確認しに来てくれていたのだ。主治医となったA医師も同じことだった。彼女は夜遅くになっても、パタパタと静かな靴音をさせながら私が横たわるベッドまで来ると、「村井さん、大丈夫ですか?」と声を何度もかけた。その都度、大丈夫ですと答えていた私にとうとう彼女は、「心拍が速いんです。もしかしてその状態に慣れてしまっているのかもしれないですね。しばらく安静にしていてくださいね」と言ったのだ。私はその、「慣れてしまっているのかもしれない」という言葉と、A医師の気の毒そうな表情にショックを受けた。もしかして、私はこんな状態のまま、ずっと暮らしていたのではないだろうか……? 強い不安が、初めて、一瞬だけ胸をよぎった。

心不全のせいで腹水と胸水がたっぷり溜まってしまった身体から水分を抜くため、利尿剤の入った点滴が打たれていた。そのせいで、トイレにひっきりなしに通い詰め、大変な思いをしていたものの、体はずいぶん楽になってきていた。なにより、たった一晩で体重は5キロも減った。その量の水分が抜けるだけで、呼吸もスムーズになった。どんどん身軽になってきた私は、もしかしたら自分はそこまで重症ではないのでは? という大きな勘違いまでしはじめた。夜中にコソコソとケータイで弁膜症について調べた私は、投薬でなんとかしのげるだろう、あと数日入院すれば、とりあえず家には戻れるだろうという、甘すぎる予測まで立てていたのだ。勘違いとは恐ろしい。