Dさんのインスタグラムより。海外でもコレクションなどで積極的にコンタクトをとってツーショットをお願いするという。左/ミウッチャ・プラダ(PRADAデザイナー)、中/ポール・スミス(Paul Smithデザイナー)、右/Yoshik(i アーティスト)。2014年に開設し、15年から本格的に始めた。16年4月には15~16万人だったフォロワーが現在は約245万人。26ヵ国語で投稿し、9割が海外のフォロワー

親にも先生にも相談しなかった

けれども、僕の地元では小学校のメンバーのほとんどが同じ中学校へ進みます。結局中学でも、サッカークラブの生徒たちがほかの生徒を巻き込み、いじめは継続されたのです。

その頃、制服のズボンをずり下ろしてはく「腰パン」が流行ったのですが、僕は「下着が見えて、カッコ悪い」と、きちんとシャツをズボンにイン、正しい制服の着方をしていました。そのことが、彼らの癇に障ったのか、「ダサい奴」と馬鹿にされ、トイレに連れ込まれて暴力を振るわれ、目を殴られて将来緑内障になると診断されたこともあります。

中学卒業後は商業高校へ進学。ようやくいじめっ子たちと別々の学校になりホッとしましたが、今度は「警察官志望」の柔道部員に目をつけられてしまった。剣道部の竹刀をくすねては、人目につかない所で叩く。また、SNSで悪口をふれ回るなどの陰湿な行為も……。

でも僕は、小学校から高校まで休まず登校を続けました。やられるに徹し、ある種のプライドもあったから周囲の誰にも相談しなかった。とにかく、ことを荒立てたくなかったんです。

ただ、勘のいい母親は、僕の身に起きていたことになんとなく気づいていたと思います。僕の性格を熟知しているだけに、「僕の話したくない気持ち」を尊重し、静観していただけなのかな、と今になるとわかる。

一方で積極的に学校行事に参加し、ほかのお母さんと親密な関係を築いてくれていました。「親同士が仲良ければ、子ども同士にも大きな亀裂は生じない」と考えていたのかも。

いじめられていたとき、先生に助けてもらおうという発想はありませんでした。このご時世、教師であってもいじめっ子に対抗すれば攻撃され、精神を病んだり、職を失ったりしかねないから。先生も人間、守りに入るのも仕方がないと思うのです。

もし今の僕が学生で、いじめの対象になって登校できない状況に陥ったとしたら、勉強に没頭し、学力を上げ学年1位を狙うか、偏差値の高い学校への転校を目指します。

なぜなら、インスタを始めてからわかったことですが、フォロワー数が急増したとたん、それまで僕を誹謗中傷していた人がきれいに去っていった。人間って、「自分より上」と認識した人とは、関わりたくなくなる生き物なのではないでしょうか?