Dさんのインスタグラムの画面のスクリーンショット。「どんな写真を投稿するか」ではなく「どんな世界観にするか」を大切にしているDさん。写真を撮った後、すぐにUPせず、熟考する。投稿する時間帯にも工夫をしている。スマホの機種によっては9コマしか見られないこともあるので、横3列×縦3列で世界観を表現。1列はDさん作のお誕生日トランプイラスト、1列は自分が映っている写真、1列は夢があるなと思ったことや自身がクリエイションしたもの、と決めて整然と投稿している

イオンで初めて「ファッション」に目覚め

いじめに苛まれながらも、「ファッションの世界へ進む」という夢が僕の中で芽吹きました。高校3年生のときです。

高校では硬式テニス部に入部、夜は民間のスクールにも通い、テニス一筋でしたが、最後の高校総体直前に、足の靭帯を切る大怪我に見舞われました。目標を失って落ち込んでいたら、母親が大型モールのイオンへ連れ出してくれたんです。

イオンには、洋服を買うため、2、3ヵ月に1度、お小遣いを貯めては自転車で40分かけて行っていました。いつもは自分で適当に1着だけチョイスしていましたが、その日は足を怪我していて自由に動き回れないし、母親というスポンサーがいたため、生まれて初めて店員さんに全身コーディネートしていただいた。

それがものすごく新鮮で、カッコ良くて、母親も店員さんも大絶賛。ファッションのことで褒められたのも初体験で嬉しくてたまらず、久しぶりに自然と笑みがこぼれた。と同時に、そんなふうに、人間の心さえ変化させるファッションのパワーというものに、無性に惹きつけられました。そして、その感覚をどうしても「形」にしたくなったんです。

そこで、福岡県内の服飾専門学校へ進学すると決めました。けれどファッション系の仕事といえばショップの店員とデザイナーくらいしか知らない両親は、「生活できる人はほんのわずか。とりあえず大学へ進学して」と大反対。

ならばと、両親を説得する戦略として、週に1度のペースで専門学校の見学をし、帰宅後に学校の魅力を両親に猛アピール。その結果、26回目の校内見学にやっと母親が同行してくれました。その頃には親しく声をかけてくれる在校生もおり、その様子を見て、進学を許してくれたのです。

無事、服飾専門学校に入学すると、アジアのファッションウィークでコンサルタントの仕事をする特別講師と出会いました。彼の勧めで思い切ってシンガポールでの仕事に同行し、カタコトの英語で交渉しながら地元のおしゃれな人たちを撮影しまくった。以後、バイトでお金を貯めては、アジアのあちこちでスナップ写真を撮り溜め――。それらをインスタで発信したのが、今の僕の原点です。

その後、自分でお金を貯めてパリコレなど海外のファッションショーを観に行ったり、26ヵ国語で発信したり、独学で試行錯誤を重ねました。その結果、多くの方にフォローしてもらえるようになっていきました。