亡くなって気づいた

一命を取り留めてから約50日間を穏やかに過ごした母は、病の発見から5ヵ月後、2013年の大晦日の昼にこの世を去った。しかも、私が年越しそばを買いに病室を出た直後のことだ。竹を割ったような性格の母らしい最期。

ICUに運ばれてから「母の死」を覚悟していた私たち家族は、葬儀社との打ち合わせを事前に行っていたため、スムーズに式を執り行うことができた。喪服は、母から言われたように、一生着られる質の良いものを前もって購入。希望どおりにマーラーの葬送行進曲も流した。この《段取り力》を発揮できたのも、母が、指示して導いてくれたからだろう。

生前、口うるさく言っていた「女性のたしなみ」は、自己満足だと思っていた。でも、自分をきれいに保つことも、結婚祝いの包装のことも、「相手への思いやり」なのだと、母が亡くなってから気づく。

身だしなみをきちんと整えてから人に接するのは、相手に失礼がないようにするため。病室に注文をつけたのも、見舞う私たちが少しでも明るく過ごしやすいように。

叔母から聞いた話だが、母は「自分が死ぬ時は娘を立ち会わせないように」とずっと言っていたらしい。私がパニックになることを案じたのだ。私が病室を出た直後に息を引き取ったのも、そういうことだったのだろう。

《小言》という形で母が遺してくれた「相手への思いやり」を大切にする心。私がどんな状況に直面しても困らず、楽しく生きていけるように。そして、人を思いやる人物になれるように、というメッセージなのだと思う。


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