松竹映画の「君の名は」は、昭和28年9月15日に第一部、12月1日に第二部、昭和29年4月27日に第三部が公開された。真知子は岸恵子、晴樹は佐田啓二が演じた。北海道の場面で頭や耳を寒さから防ぐため、真知子がストールを肩から一周させていたのが「真知子巻き」と呼ばれ、それを真似する女性が増えた。「君の名は」は社会現象となったのである。

映画の第一部では織井茂子「君の名は」、伊藤久男「君いとしき人よ」、第二部は岡本敦郎と岸恵子「花のいのちは」、織井「黒百合の歌」、第三部は織井「君は遙かな」、伊藤「忘れ得ぬ人」「数寄屋橋エレジー」、淡島千景「綾の歌」という、主題歌と挿入歌が生まれた。いずれも、作詞作曲は菊田と古関のコンビであった。

ラジオドラマの打ち合わせ風景か(撮影年不明)右端に古関裕而、左から2番目に菊田一夫が見える

歌謡曲から舞台へ

昭和30年(1955)の夏、古関は例年どおり避暑地の軽井沢で過ごしていたが、その商店街で菊田一夫と偶然出会った。菊田は、東宝の小林一三から頼まれ、同社に重役として入社し、演劇部門を担当することになったと報告した。そして、舞台音楽について「古関さん、よろしく頼みますよ」といわれた。これにより古関の作曲活動は、歌謡曲から舞台へと移行することとなる。古関46歳であった。

菊田と古関のコンビによる最初の東宝ミュージカルは、昭和31年2月9日に東京宝塚劇場で開演された「恋すれど恋すれど物語」であった。ところが、舞台の初日に古関は倒れている。診断の結果、胃潰瘍であり、五反田の関東逓信病院に入院し、胃の三分の二を摘出する手術を受けた。